デュトワ指揮モントリオール響のイベール作品集(1992録音)を聴いて思ふ

寒いのだけれど、何だか暖かい気もする。
春の到来か?
人事が紆余曲折、浮き沈みある中、自然は万事大らか、そして正直だ。時機が来れば確実に変化のある不思議。

日が沈む。一日の労苦に疲れた憐れな魂の裡に、大きな平和が作られる。そして今それらの思想は、黄昏時の、さだかならぬ仄かな色に染めなされる。
「黄昏」
ボードレール/三好達治訳「巴里の憂鬱」(新潮文庫)P81

自然と人心が一体となる瞬間の恍惚。
パリはあまりに厭世の想いを喚起するのだろう。

シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団のジャック・イベール作品集を聴く。
こんなにも陽気でありながら、世紀末的退廃と憂いを抱える音楽の再生がどこにあろう?黄昏時の寂しさと美しさが身に染みる。

イベール:
・交響組曲「寄港地」(1992.5.21録音)
・フルートと管弦楽のための協奏曲(1992.5.21録音)
・モーツァルトへのオマージュ(1992.10.28録音)
・交響組曲「パリ」(1992.10.28録音)
・バッカナール(1992.5.21録音)
・ボストニアーナ(1992.10.28録音)
・ルイヴィル協奏曲(1992.10.28録音)
ティモシー・ハッチンズ(フルート)
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団

音による情景描写が抜群のイベールの技量。
それにも増して、現代フランス音楽を見事に音化するデュトワの華麗なる魔術。決して表層的な演奏でないことが何より。

私は嘗て真のベネディクタを知っていた。彼女は周囲の空気を理想で充たし、その眼には偉大への、美への、栄光への、そして不死を信ぜしめる一切のものへの、願望を溢れさせていた。
しかしこの奇蹟の少女は、長く生きるには余りにも美しかった。そして、私が彼女を識ってから数日を経て、彼女は死んでしまった。
「何れが真の彼女であるか」
~同上書P141

音楽の儚さは生の儚さと同義。生まれては消え、消えては生まれる、時間の連続の中にある芸術。その意味で、傑作は「長く生きるには余りにも美しい」のである。「バッカナール」の喧騒と喜び。また、フルート協奏曲の劇性と官能。すべてがまるで生き物の如し。それにしても、世界を音楽で見事に描写する「寄港地」の、東洋と西洋の邂逅が素晴らしい。

春到来の予感。

 

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