マリア・カラスのベッリーニ歌劇「ノルマ」(1960.9録音)ほかを聴いて思ふ

ケルンにはケルンの、パリにはパリの、またブレゲンツにはブレゲンツの、そしてウィーンにはウィーンの音がある。演奏する会場によって、あるいは演奏する時代、時期、時間によって音楽の質が見事に変貌する不思議。祈り、そして踊るキース・ジャレットの音楽はいつも死の影を背負う。
ミラノ・スカラ座には何だか魔物が宿るよう。
パート1、徐に開始される一粒の音が、いつものように沈潜し、うねり、血をたぎらせるや、大きな渦となって聴く者をいつの間にか圧倒する。17分過ぎにはエリック・サティの、世紀末退廃を背負った旋律すら木魂するよう。また、23分過ぎからの、いつもの足踏みとうなりとともにシンコペーションで奏される音楽は、どこかで聴いた祭事での舞踏の懐かしさ溢れるもの。
あるいは、変拍子の、一層複雑で細かい音の動きを持つパート2こそ、ジャズ・インプロヴィゼーションの極意。ミラノ・スカラ座には間違いなく魔物が、否、ミューズがいる。

・Keith Jarrett:La Scala (1995.2.13Live)

Personnel
Keith Jarrett (piano)

伸縮する音楽の恍惚。時に跳ね、時に沈みゆく音楽の感激。
その場にいた誰もが息を飲み、その場で生み出される音楽に釘付けになったことだろう。スタンダード・ナンバー”Over The Rainbow”があまりに美しい。

奇蹟の即興から遡ること40余年。
同じくスカラ座では、マリア・カラスがノルマを演じ、劇場を埋め尽くす聴衆を沸かせていた。

カラスはイタリアで最も卓越したドラマティコ・リリコ・ソプラノであるだけでなく、たぐいまれな才能をもつ俳優でもある。彼女は、ひと声も歌わないうちから、その存在感だけで聴衆を魅了した。歌いはじめてみると、どのフレーズも天衣無縫であり、聴衆は、フレーズの最初の音を聴いただけで、彼女が、それがどこでどう終わるのかを意識の上ではもちろん本能でも正確に感じとっていることがわかった。・・・彼女の敏捷性には非凡なものがある。軽やかな声ではないのだが、彼女は最もむずかしいコロラトゥーラをやすやすと歌いこなし、下降するグリッサンドで聴く者の心を震わせた。
ステリオス・ガラトプーロス著/高橋早苗訳「マリア・カラス―聖なる怪物」(白水社)P141

1960年頃は、すでにピークを過ぎ、衰えも目立った彼女の歌だが、それでもいぶし銀の如くの、深みのある、明らかにカラスだとわかる歌唱は健在。スカラ座での、1960年の「ノルマ」が素晴らしい。

・ベッリーニ:歌劇「ノルマ」
マリア・カラス(ノルマ、ソプラノ)
フランコ・コレッリ(ポッリオーネ、テノール)
クリスタ・ルートヴィヒ(アダルジーザ、メゾソプラノ)
ニコラ・ザッカリア(オロヴェーゾ、バス)
ピエロ・デ・パルマ(フラーヴィオ、テノール)
エッダ・ヴィンチェンツィ(クロティルデ、ソプラノ)
トゥリオ・セラフィン指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団(1960.9.5-12録音)

第2幕第3場、怒りに狂ったノルマの壮絶な歌唱とドラマの修羅場は、カラスの歌はもちろん、セラフィンの音楽作りが見事にものを言う。例えば、ポッリオーネに扮するフランコ・コレッリとの二重唱「とうとう私の手に」での、マリア・カラスの唯一無二の芯の図太い声は、感情溢れ、僕たちに大いなる感動をもたらしてくれる。何より冒頭序曲の、ドラマの起伏を先取りする魅力的な音楽に、僕たちはどんなときも期待を膨らませるのである。

久しぶりの慈雨。
細かい雨滴に自然の大らかな采配を思う。

 

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