エリック・ハイドシェック・ピアノコンサート

heidsieck_091031.jpg東京日仏学院主催のエリック・ハイドシェック・ピアノコンサートに行く。てっきり先月のツアー以降日本に滞在されているのかと思っていたが、どうやら違ったよう。昨日パリから東京に戻ったのだと。ご多忙である。
さすがにほとんど告知されていないサロン・コンサートというノリのリサイタルであったゆえ、かしこまらず演奏者、聴衆ともどもリラックスした雰囲気の中で開かれたいかにもハイドシェックらしい演奏会。もちろんこのフランス語学校のエスパス・イマージュというホールは初めて。ホールというより、基本的には映画などを観るための視聴覚室的なこじんまりとした部屋なのだが、ともかくデッドな響きで、細かい音の隅々までが明らかになる。これは「今」のハイドシェックにとっては不都合だろうが、そんなことには委細構わず当のエリックはプログラムどおり淡々と音楽を進めてゆく。

定刻。主催者がフランス語で何やら挨拶(通訳が入ったので理解はできた)。それに、観客は普通にフランス語を解せる人が多いようで、途中のエリックのスピーチも普通に笑い声が漏れたり、和気藹々とした雰囲気。さすがにいつもの彼のコンサートに馳せ参じる面々とは層が違うようだ。

・ベートーヴェン:6つのバガテル作品126
テクニックは極めて衰えた。ミスタッチの連続。ただし、そうはいっても後半随分建て直し、ふとした瞬間に、「聴覚を失ったベートーヴェンが、まだ見ぬロマン派の時代を予見するかのような革新性を身にまとい、天から降って湧いたように生み出した」ことがよくわかる演奏と化す。現在のハイドシェックならではの音楽。

・ブラームス:6つの小品作品118~間奏曲イ短調、間奏曲イ長調、バラードト短調
うーん、残念ながら痛々しい。それでも曲が進むにつれ、晩年のブラームスの孤独感が伝わる演奏になるのだから、それはそれで素晴らしい。まるで作曲当時のブラームスと一体になるかのような清らかな透明な音楽であった。

休憩をはさみ後半。演奏の質ががらっと変わる。さすがにお国ものをやらせると老練の巨匠にはぴったり。

・フォーレ:夜想曲第1番変ホ短調作品33-1、夜想曲第11番嬰へ短調作品104-1
若い頃にEMIに録音した夜想曲全集はかねてよりの愛聴盤だが、色合いは随分燻っているものの、その分「味のある」センスの良い演奏が眼前で鳴り響く。まさに2,3メートルという至近距離でエリックの弾くヤマハピアノが朗々たる音を響かせる。

・ドビュッシー:前奏曲集第1巻&第2巻より
前奏曲集から2つ。残念ながら僕はこの曲集の隅々まで熟知しているわけではなく、どの楽曲が演奏されたのか不明。帰宅後チェックしようとしたが、少々酔いが回っており確認不可能である。それにしてもハイドシェックとドビュッシーの音楽は抜群に相性が良い。例のふわふわした浮遊感が、軸がしっかりした地に足のついた音楽に変わる。その変わり様のニュアンスが堪らない。

・ハイドシェック:ラ・マルセイエーズの主題によるパラフレーズ~フォーレ風、ドビュッシー風、クープラン風、ラヴェル風、ストラヴィンスキー風、プロコフィエフ風
本日の白眉はこの自作自演。とにかくどんな作曲家の音楽よりも自分自身が創作した音楽を弾きたいようで、子どものように無邪気であると共に、集中力が半端でない。ただし、今回も「フォーレ風」を始めるや一旦止まった(笑)。「すいません、昨日パリから来日したばかりで4時間しか寝てないんだ」という言い訳をし、初めからやり直し。これがまたエリックのエリックたるところで、プロフェッショナルを感じさせないところが良くもあり悪くもあり。ただ、この6曲の抜粋はことのほか良かった。かっこ良かった。

そしてご多聞に漏れず、いつものように気さくにアンコール。
まずは、9月の公演でも披露した自作「5つのプレリュード “Amare Doloris Amor〈詩/Maurice Courant〉”より」
あっという間に過ぎ去る短い音楽だが、なかなか良い曲だと思う。本日会場で先行発売されていた新譜に収められているようなので、これからじっくり聴いてみようと思う。
そして、昨年発売された音盤にも収録されていたフランソワ・クープランの「フランス人気質またはドミノ~第13組曲より」から抜粋。①純潔(見えない色のドミノ)②恥じらい(ばら色のドミノ)③情熱(鴇色のドミノ)④希望(緑色のドミノ)⑤誠実(空色のドミノ)⑥忍耐(灰色のドミノ)⑦媚(色とりどりのドミノ)
少々投げやりではあるものの、ハイドシェックが曲頭に解説を入れながらの演奏。合計1時間半ほどの会ではあったが、そもそも知る人ぞ知る特別な(?)人にだけ与えられた「至高の時間」のようなものゆえ満足感は相応にあった。ただし、やっぱり年老いたなぁ。そのあたりは否定できない。

4 COMMENTS

雅之

おはようございます。
ハイドシェックの「サロン・コンサートというノリのリサイタル」、いいですねえ! ピアノや室内楽のコンサートって、そのくらいの聴衆とのインティメートな距離感が理想なのでは? 先日の愛知とし子さんの瑞浪でのコンサートでもそう思いました。そもそもクラシック音楽の王道の作曲家って、そのくらいの小空間を想定して書いた曲が多いのでしょうしね。ただし、視聴覚室的会場というのは、少し味気なさそうですが・・・。
>「すいません、昨日パリから来日したばかりで4時間しか寝てないんだ」
出た!、ノンシャラン・ハイドシェックの面目躍如(爆)!!いいですねぇ!(笑)。
「こっちも寝てないんだ!」なんちゃって(笑)。
常々思うんですが、クラシックの良いところは、世界的大スター演奏家でもファンの垣根が低いことですね。大スターでも、意外に簡単にサインをもらえたり握手ができますよね。これは素敵なことです。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>ピアノや室内楽のコンサートって、そのくらいの聴衆とのインティメートな距離感が理想
確かにそうですね。とてもよかったです。
>ただし、視聴覚室的会場というのは、少し味気なさそうですが・・・。
いや、視聴覚室というのはちょっと言い過ぎでした(笑)。100人規模の映画館です。
>出た!、ノンシャラン・ハイドシェックの面目躍如(爆)
そうなんです!こういう言葉はプロフェッショナルなら絶対に吐かないですよね。彼らしいです。昨日は舞台衣装もカジュアルでしたし・・・。
>大スターでも、意外に簡単にサインをもらえたり握手ができますよね。これは素敵なことです。
同感です。

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ザンパ

本エントリを拝読させていただいて、行間からいろんな思いを感じました。「ハイドシェックはクラウスの後継者」と宇野さんはおっしゃってましたね。残念な意味で正解だったようですね。でも、本人は幸せそうで何よりです。その楽しさも行間から伝わってきました。

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岡本 浩和

>ザンパ様
こんばんは。
いろいろと感慨深いコンサートでした。
でも、良いも悪いも含めて僕はハイドシェックを愛します。

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