Music Door Academic~ドビュッシー生誕150周年記念リサイタル

コンサート当日。
こういう日はあえてその日のプログラムなどにまつわる音楽など耳にせず静かに過ごしたい・・・。何て気障なことは言うまい。例によって天気が不安定で、午前中ものすごい豪雨。たまたま予定のセッションが延期になったので、自宅に戻っていたのが幸い。準備を終え、ボッケリーニの弦楽五重奏曲集を聴く。数年前から順次リリースされているラ・マニフィカ・コムニタによる最新第9集。あまりに数が多すぎて、ボッケリーニのどの作品がどれなのかをまったく認識できていないが、実に耳に心地よい。名曲揃いである(それにこれはとても意義のある良い仕事だ)。

さて、無事コンサートが終了した。ナビゲーターとはいえ、自分が出演するコンサートを云々するのは不得手だから書かないことにしようと思っていたが、徳川眞弓さんのピアノ演奏はもちろんのこと、仙波知司さんによる谷川俊太郎さんの詩(7月17日の徳川さんのリサイタルのために特別に谷川さんが書き下ろされたもの!)の朗読が素晴らしく(舞台袖で聴いていたにすぎないのだが、その後に聴衆の反応含めてとても良かったと思われる)、せっかくなのでこの辺りを中心に記事に残しておこうと思う。

Music Door Academic~ドビュッシー生誕150周年記念リサイタル
2012年8月18日(土)19:00開演
ティアラこうとう小ホール
徳川眞弓(ピアノ)
仙波知司(朗読)
岡本浩和(ナビゲーター)
谷川俊太郎(詩)
主催:Maggiolata(マッジョラータ)

・ドビュッシー:前奏曲集第1巻~第8曲「亜麻色の髪の乙女」
・ショパン:練習曲ホ長調作品10-3「別れの曲」
・ショパン:スケルツォ第2番変ロ短調作品31
・ショパン:ポロネーズ第6番変イ長調作品53「英雄」
・ドビュッシー:アラベスク第2番
休憩
・ドビュッシー:子供の領分(詩:谷川俊太郎)
・ドビュッシー:前奏曲集第1巻~第10曲「沈める寺」
アンコール~
・グルダ:アリア

徳川さんの演奏は実際7月のリサイタル以上に素晴らしかった。おそらく会場の造りの関係もあるのだろうけど、中心線の安定した、ぶれない、しかも癒しに満ちたものだった。ショパンももちろんだが、ドビュッシーなどは僕の中でこうあらねばという音像(ドビュッシーには決まった方法はない。さすがにポピュラー音楽への架け橋となった作曲家だけあり、許容範囲は極めて広い。否、というよりどんな演奏表現だって受け容れる器がある。何が一番だったかと言うと、徳川さんの作曲家への「共感」が半端でないと僕には感じられたこと)が常に表出されるものだから逆に驚いたほど。特に後半の「子供の領分」、そして「沈める寺」は完璧なものだったと僕は思う(それには朗読の仙波さんの力も相当に大きい。よく通るお声と、聴き易いゆっくりした口調と)。あらためてドビュッシーの偉大さを教えていただいた、そんな一夜だった。
ちなみに、最後に話題になったのはフリードリヒ・グルダのアリア。この音楽には譜面がないそう。グルダもことあるごとに好んで舞台にかけていたらしいが、そのたびに細部が違っていたのだと(まさにジャズ的手法!)。ショパンからドビュッシーへ、そしてドビュッシーから現代ポピュラー音楽への流れが俯瞰できた素敵なひと時・・・。
ご来場いただいた皆様、ありがとうございました!!
主催のマッジョラータ浅倉さん、お世話になりました!!


7 COMMENTS

ふみ

コメントが遅くなってしまいました。

まずは、当コンサートにお誘い頂き誠にありがとうございました。体調を崩してしまい、途中からの参戦となりましたが、素晴らしい演奏を聴かせて頂きました。

今までドビュッシーの音楽には「響」を求め、パッセージやニュアンスや色彩の渡豊富さ等はあまり気にしなかったのですが、渡辺さんの演奏を聴き(特に人形へのセレナード)ドビュッシーでも一つ一つのパッセージを活かすことで、こうも音楽の流れが刻々と変わるもんなのだなぁと痛感しました。ホールの大きさにも影響はあったのだと感じましたが、なにあともあれドビュッシーの音楽を見直さざるを得ない経験となりました。

また渡辺さんと仙波さんにもご紹介頂きありがとうございました。

また何かコンサートの機会がありましたら、お誘い頂ければ幸いです。

繰り返しになりますが、素晴らしいコンサートにお誘い頂きありがとうございました。

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ふみ

渡辺さんではなく徳川さんの間違いでした。

お名前を間違えてしまい大変失礼を致しました。申し訳ありません。訂正させて頂きます。

返信する
岡本 浩和

>ふみ君
こちらこそ体調不良の中わざわざご足労いただきありがとう。
それでもドビュッシーのいくつかを聴いていただけて良かったです。

>ドビュッシーでも一つ一つのパッセージを活かすことで、こうも音楽の流れが刻々と変わるもんなのだなぁと痛感しました。

そうなんです。僕が思うに、ドビュッシーは突然変異的な存在で、いろいろな解釈が成り立つ孤高の人だと思います。そういう僕もようやく最近わかったんだけれどね。(苦笑)
またぜひよろしくです。

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