大野和士指揮都響第847回定期演奏会Aシリーズ

師弟の絆を思う。
トリスタン・ミュライユが、師オリヴィエ・メシアンの死を追悼して書いた、4分ほどの「告別の鐘と微笑み」には、場をチューニングする力がある。怖れというより希望を新たに、死をどちらかというと荘厳な出来事としてとらえる音調に、僕は思わずため息をもらした。そして、ヤン・ミヒールスの知性溢れるピアノが縦横に響き、会場の空気が見事に整った。

「トゥーランガリラ交響曲」の、繰り返される圧縮と膨張に息つく暇がなかったくらい。ここにあるのはエロスなのかアガペーなのか。メシアンは各々の楽章の標題含め言葉の意味そのものを詮索されることを嫌ったという。愛という概念にはたぶん左右されない方が良いのだと思う。

東京都交響楽団の見事なアンサンブルに舌を巻く。
否、それ以上に、既に330回以上この作品を演奏するという原田節のオンド・マルトノの絶妙な加減に感銘を受けた(驚くべきことにおそらく彼は暗譜で「トゥーランガリラ」に加わっていた)。当然、それに対応するヤン・ミヒールスのピアノも終始熱を帯びた音を示していた。

東京都交響楽団第847回定期演奏会Aシリーズ
2018年1月18日(木)19時開演
東京文化会館
ヤン・ミヒールス(ピアノ)
原田節(オンド・マルトノ)
四方恭子(コンサートマスター)
大野和士指揮東京都交響楽団
・ミュライユ:告別の鐘と微笑み―オリヴィエ・メシアンの追憶に(1992)
・メシアン:トゥーランガリラ交響曲(1946-48)

メシアンの音楽に通底するのはもちろんキリストへの信仰心なのだが、あるひとつのフレーズ(愛の主題?)が全編を通じて再現され、オンド・マルトノの音とともに耳について離れない。これは果たして洗脳なのか?(笑)
興味深いのは、大地を表わすであろうピアノが、形而上的宇宙を表現するであろうオンド・マルトノと対峙しつつ、楽章が進むにつれ一体となってゆく様。
第5楽章「星の血の喜び」における挑発と、終楽章コーダの大爆発に僕はのけ反った。

小難しい信仰の音楽が、実に俗っぽく(?)、かつわかりやすく再現された。何より大野和士の全体を的確に俯瞰する構成力に感動。

縛られた官能が自由を獲得したときの凄まじさというのはいかばかりか。
戦時の抑圧の解放がここには読みとれる。

私の申し上げたい最後の愛、それは鳥への愛です。世界中が、私が鳥類学者であること、私の作品の中で鳥の歌がどれほど法外に重要な位置を占めているかを知っています。鳥は、思い浮かぶあらゆる観点から称賛に価します。
アルムート・レスラー著/吉田幸弘訳「メシアン―創造のクレド 信仰・希望・愛」(春秋社)P42

なるほど、確かに「トゥーランガリラ」にも鳥らしき鳴き声が聞こえた。
昨年11月の「アッシジの聖フランチェスコ」、12月の「幼子イエスにそそぐ20のまなざし」に続き聴いたメシアンの大作。彼の作品は実演でこそ。

 

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