ヤノヴィッツのモーツァルト コンサート・アリアK.528ほか(1966.6録音)を聴いて思ふ

モーツァルトの音楽は人を幸せにする。
彼の音楽には何もない。特に、父レオポルトと死別してからの彼の世界は「無」だ。

空気も水もなければ、風も吹かない。音も伝わらない。何もない。何もないから、何も妨害者がいないから、太陽の光も散乱しない。だから月面から見た空は青くなく、真黒になる。昼も夜も真黒だから、いつだって無数の星がギラギラ見える。月面は黒い空に太陽と星たちがともにあるだけの光景となる。
松岡正剛「ルナティックス—月を遊学する」(中央公論新社)P115

当たり前のことだが、僕は驚いた。ただ「ともにあるだけの光景」。何気ないこの言葉にこそ真理があり、それと同じものがモーツァルトの音楽の中にも潜むのである。

大成功を収めた歌劇「ドン・ジョヴァンニ」初演の直後に書かれたレチタティーヴォとアリア「わが美しき恋人よ、さようなら・・・とどまってください、ああ愛しい人よ」K.528。運命のいたずらか、死によって離れ離れになることを余儀なくされる恋人への告別を歌うこの作品は、すでに父との別れの哀惜は癒え、暗い情念が迸る精神的な高みを獲得した逸品だ。
告別の辞を気丈に一旦発するも、やはり諦め切れぬ思いのぶつかりが、モーツァルトの美しい音楽によって解決される様。そして、苦悩の葛藤を劇的に、また意味深に歌う若きグンドゥラ・ヤノヴィッツの技量。素晴らしい。

モーツァルト:コンサート・アリア集
・レチタティーヴォとアリア「ああ、私は予想していた・・・ああ、私の目の前から消えて」K.272
・レチタティーヴォとアリア「この胸に、ああ、愛しい人よ来て・・・天が私にあなたを返して下さるとき」K.374
・アリア「大いなる魂と高貴な心」K.578
・聖墓の音楽K.42~アリア第4番「この胸を眺めて、私に聞いて下さい」
・アリア「私は行く、だがどこへ」K.583
・レチタティーヴォとアリア「わが美しき恋人よ、さようなら・・・とどまってください、ああ愛しい人よ」K.528
・レチタティーヴォとアリア「憐れな私よ、ここはどこなの?・・・ああ、語っているのは私ではないの」K.369
グンドゥラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ)
ヴィルフリート・ベトヒャー指揮ウィーン交響楽団(1966.6録音)

そして、ウィーン到着の頃に書かれた、レチタティーヴォとアリア「憐れな私よ、ここはどこなの?・・・ああ、語っているのは私ではないの」K.369の、情感豊かな、自信に溢れる歌。

昨日4時には、もう演奏をやりました。そこには確かに20人の貴族が来ていました。今日、ぼくらはガリツィン侯爵のところへ行かなくてはなりません。—何か手当てが支給されるのかどうか、待つばかりです。
(1781年3月17日付、父レオポルト宛)
高橋英郎著「モーツァルトの手紙」(小学館)P274

現実と理想(空想)の狭間。モーツァルトの精神は忙しく行き来する。たとえどんな状況であっても彼の音楽そのものは純粋無垢だ。同じくヤノヴィッツの歌唱から放出される熱の心地良さ。モーツァルトの歌は何て優しいのだろう。

「ともにあるだけの光景」。そう、調和だ、一つだ。
これ以降、モーツァルトの音楽はますます高みへと昇り詰めるのである。
何という按配!

たとえば、月と地球のあいだの重心はどこにあるのか。地球と月というふたつの球体をヤジロベエの両側に吊るし、その平衡点をさがすと、どこになるのか。こんな質問を大学生に出してみたところ、ほとんどの学生が答えられないか、あるいはまちがった答を出した。平均的な答は地球の大気圏を少し出たくらいの地点というものだった。むろんひどいまちがいだ。が、ちょっと考えてみれば、難しくはない。
月と地球の質量比はほぼ83対1である。両者の距離はおよそ38万キロだから、この内分をとると、月―地球系の重心は地球の中心から4600キロほどのところとなる。そこであらためてその地点をさがすのだが、これはなんと地球の内部ということになる。それほど地球の直径はバカでかい。答は月と地球のヤジロベエは成立しないということなのだ。だいたい地球の内側、約1700キロなたりが重心である。
kれで、どういうことがわかるかというと、月も地球も地表下約1700キロの点を中心にともがらに楕円軌道を描いているということになる。おわかりいただけただろうか。月が地球を周回しているように見えるのはこのためなのである。さらにいえば、もともと太陽のまわりを1年をかけて周回しているのは地球そのものではなく、太陽を回っているのは月―地球系の重心だったということなのだ!
松岡正剛「ルナティックス—月を遊学する」(中央公論新社)P127-128

何という精妙さ!
「もともと太陽のまわりを1年をかけて周回しているのは地球そのものではなく、太陽を回っているのは月―地球系の重心だったということなのだ!」
松岡さんのこの言葉に僕は衝撃を受けた。ザラストロと夜の女王は一対だ。

 

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