バーンスタイン指揮ワシントン・ナショナル響の「ソングフェスト」(1977録音)ほかを聴いて思ふ

「ソングフェスト」。
開会の讃歌はフランク・オハラの詩、そして閉会の讃歌はエドガー・アラン・ポーの詩による。選択したアメリカの詩が、実にレナード・バーンスタインらしい。祭典と題するものの、「ソングフェスト」には、暗い苦悩の音調が絶えない。

バーンスタインは、自身がアメリカ人であることにプライドを持っていた。
最晩年のインタビューで彼はこう語る。

私の音楽はあらゆるジャンルの批判と賛辞を引き起こしました。けれども、私は〈アメリカの〉作曲家であることに誇りを持っていると言っておきましょう。というのは、アメリカで、私たちはなお音楽を信じているからです!
バーンスタイン&カスティリオーネ著/西本晃二監訳/笠羽映子訳「バーンスタイン音楽を生きる」(青土社)P100

彼の音楽家としての自負が見事に反映される言葉。
少なくともクラシック音楽界において、いまだヨーロッパ至上主義であった時代、数々の非難を受けても彼の信念は揺るぎなかった。実際、彼がアメリカの詩に曲を付した音楽には、大いなる力が漲る。

バーンスタイン:6人の歌手と管弦楽のためのアメリカ詩の連作「ソングフェスト」
・開会の賛歌「一編の詩を」(フランク・オハラ詩)
・3つの独唱曲
―「高架線の向こうの駄菓子屋で」(ローレンス・ファーリンゲッティ詩)
―「もう一人の自分に対して」(フリア・デ・ブルゴス詩)
―「君の言葉に答えよう」(ウォルト・ホイットマン詩)
・3つのアンサンブル
―二重唱「僕もアメリカを歌う」(ラングストン・ヒューズ詩)/「『ニグロ』でいいの」(ジューン・ジョーダン詩)
―三重唱「大事ないとしい夫に」(アン・ブラッドストリート詩)
―二重唱「小さなお話し―アンリ・マティス」(ガートルード・スタイン詩)
・六重唱曲「食べるものがなかったら」(e.e.カミングズ詩)
・3つの独唱曲
―「君といっしょに聴いた音楽」(コンラッド・エイケン詩)
―「道化師の嘆き」(グレゴリー・コーソー詩)
―ソネット「私が接吻したのは」(エドナ・セント・ヴィンセント・ミレー詩)
・閉会の賛歌「イズラフェル」(エドガー・アラン・ポー詩)
クランマ・デイル(ソプラノ)
ロザリンド・エリアス(メゾソプラノ)
ナンシー・ウィリアムス(メゾソプラノ)
ニール・ローゼンシャイン(テノール)
ジョン・リアードン(バリトン)
ドナルド・グラム(バス)
レナード・バーンスタイン指揮ワシントン・ナショナル交響楽団(1977.11&12録音)

繰り返し聴くが良い。いずれ近いうち、バーンスタインの心の声が聞こえてくることだろう。
ところで、同じインタビューの中、「あなたにもっとも強烈な印象を与えた作曲家は誰か?」という問いにバーンスタインは次のように答えている。

たとえば、ショスタコーヴィチ。私はソ連まで出向いて彼の音楽を指揮しましたが、ショスタコーヴィチは大いに苦悩する人間でした。それに、彼の音楽自体、苦悩そのものです。それにしても、ベーラ・バルトークは私にとってまったく並外れた人間のように思われました。
~同上書P100-101

バーンスタインは、ショスタコーヴィチの苦悩を自身の内なる苦悩と同期したがため、彼のショスタコーヴィチは思いながら感動的なのだろう。
思い入れたっぷりの、それでいて決して感情過多に陥らない自然体を保つ晩年の「レニングラード」交響曲、そして、青年時代の革新的作品を重厚な大交響曲に仕上げた完全無欠の第1番。

ショスタコーヴィチ:
・交響曲第1番ヘ短調作品10(1925)
・交響曲第7番ハ長調作品60「レニングラード」(1941)
レナード・バーンスタイン指揮シカゴ交響楽団(1988.6録音)

この、比類ない人間讃歌に、僕は幾度となく震え、涙した。シカゴ響の強力な金管群をもってして、ショスタコーヴィチの魂の叫びが全世界を震撼させる。終楽章アレグロ・ノン・トロッポでは指揮者の感極まり唸る声すら聞こえるが、何よりコーダで「人間の主題」が回帰するシーンは、人を愛するバーンスタインの真骨頂。

そして、バーンスタインがその才能に惚れ込み、畏怖の念を覚えた作曲家ベラ・バルトーク。

彼は私が出会ったもっとも立派な人物で、傑出した、貴族的な、品格の備わった紳士で、小柄な、まるで陶器でできたかのように華奢な人物でした。でも、能力と決断力に満ち、私の妻のように、ひじょうな勇気を備えた英雄でした。
~同上書P101

バルトークに対しては、とにかく手放しの賛辞が続く。バルトークの作品の独創性についてバーンスタインはかく語るのだ。

「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」の冒頭に置かれたフーガ以上に宗教的な楽曲はあるでしょうか?それがベートーヴェンの作品131のフーガに似ているなんて信じられません。大部分の指揮者たちはこの楽曲(フーガ部分)をひじょうに速く指揮しますが、私は、逆に、いつもそれをひじょうにゆっくり指揮します。その方がバルトークが私に語りかける不安や信仰の必要をより良く表現できると思うからです。
~同上書P102

この言葉を知り、バーンスタインの、作曲者への愛に溢れる演奏に納得する。

バーンスタイン/ユニセフ・エイド
・バルトーク:弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽Sz.106
・バーンスタイン:ディヴェルティメント(1980)
・ブラームス:ハンガリー舞曲第6番(アルバート・パーロー編)
レナード・バーンスタイン指揮バイエルン放送交響楽団(1983.11.15&16Live)

第1楽章アンダンテ・トランクィロ。弦楽器が泣き、うねる。チェレスタの神秘的な響きも忘れ難い。また、第2楽章アレグロにおける打楽器の躍動に感化され、第3楽章アダージョの深遠な音に僕は思わず沈思黙考する。まさにバーンスタインが読み解く不安と信仰の反映!!そして、終楽章アレグロ・モルトは急速な舞踏で(しかしバーンスタインは急がず慌てず音楽をじっくり堪能する)、魂はここで一気に解放されるのだ。

ちなみに、自作「ディヴェルティメント」第3曲マズルカでは、最後にベートーヴェンのハ短調交響曲第1楽章のオーボエ独奏主題が引用される。突然の懐かしさ!

 

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