シューベルトの幻想曲

schubert_kremer_afanassiev.jpg食事時に滅多につけないチャンネルをつけたら、糸井重里と矢沢永吉の姿が・・・。思わず引き込まれ、最後まで観てしまった。

題して「矢沢永吉&糸井重里~今だからこそお金の話~」。ロックシンガーと社長の2足の草鞋を履く永ちゃんの社長としての失敗談、そして34億円もの詐欺被害にあった後の復活話など、ためになる話満載。今の世の中の最大の問題は、政治の世界でも何の世界でも「自分で尻を拭かない奴」が多過ぎることだと矢沢はボヤく。ありがとう。勉強になりました、そして勇気づけられました。

ところで、リヒテルが亡くなって早くも13年が経過する。晩年は何度も日本を訪れ、ほとんど真っ暗と言っていい不思議な舞台で彼らしい独自の世界を披露してくれたことはいろいろな文献の絶賛の言葉から読み取れるが、結局僕自身は実演で聴く機会を逸してしまった。J.Sバッハの「平均律クラヴィーア曲集」など、ビクターへのスタジオ録音盤、インスブルックでのライブ盤、いずれを聴いても最高の出来ゆえ、生の舞台に触れたときにはさぞかし鳥肌がたつような演奏だろうと想像できるだけに何とも惜しい。

ソ連という国は非常に興味深い国である。およそ外部の我々には想像もできない「何か」があったのだろう、スポーツの世界にせよ音楽の世界にせよ、途轍もない才能がたくさん輩出されているところを考えると、内側では国家としての威信(特に対米国)をかけた恐ろしいまでの「闘い」が当然あったように思われる。先日、ウクライナ出身のカティアから聴いた話は極めて面白かった。周囲の多くの年配者がかつての社会主義国時代を懐かしがっているという話。人間は競争がなくなると途端にモティベーションが低下し、怠け者になるであろうことは容易に想像がつくが、国が全てを管理し、各分野の優秀な人材には相応のお金と時間をかけ、世界トップクラスの実力に一層の磨きをかけられるだけの環境を用意するというのは、多少語弊のある言い方が許されるなら、実に合理的な仕組みなのではないかとも思える。

ちなみに、その旧ソ連が生んだ、二人の天才がコラボした素晴らしい音盤がここにある。いずれのアーティストも現在その分野で最高峰に位置する人だと思うが、やはりソ連時代のそれぞれの研ぎ澄まされた鋼のような音楽作りに一層の魅力を感じる(もちろん僕は音盤でしか聴いたことがないのだが)のは僕だけだろうか。

シューベルト:
・ヴァイオリン・ソナタイ長調D574
・ヴァイオリンとピアノのためのロンドロ短調D895
・ヴァイオリンとピアノのための幻想曲ハ長調D934
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
ヴァレリー・アファナシエフ(ピアノ)(1990.1録音)

D574は、1817年8月の作曲、D895は1826年10月、そしてD934は1827年12月の作曲である。前2曲はベートーヴェン存命中、最後のものはベートーヴェンが亡くなった数ヶ月あとのものである。僕が聴いて感じるに、最初の2つが明らかにベートーヴェンの影響下にありながらも自分らしさを表現した傑作だということに対し、D934はどう聴いてもモーツァルトの音楽のようにしか聴こえないこと。いや、モーツァルトのエッセンスをシューベルトなりに昇華し、もっともシューベルトらしい最高の作品に磨き上げた佳作だと断言できることだ。この幽玄さと音色の柔らかさは、もちろん2人の演奏家の技術の賜物だと思うが、それにしても美しい。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
以前にも書きましたが、リヒテルの来日公演には一度だけ接した経験がありますが、芸風も曲目もよく理解できなかった若いころの自分を恥じるばかりです。
「認めたくないものだな、自分自身の若さ故の過ちというものを」(爆)
>D934はどう聴いてもモーツァルトの音楽のようにしか聴こえないこと。
同感です。このシューベルト晩年の曲は名曲中の名曲だと私も思います。深すぎる曲です。この曲、演奏の難易度も高いことで知られていますが(単なる技巧面だけではない!)、その点、ご紹介のクレーメルの録音は素晴らしいですね。
>国が全てを管理し、各分野の優秀な人材には相応のお金と時間をかけ、世界トップクラスの実力に一層の磨きをかけられるだけの環境を用意するというのは、多少語弊のある言い方が許されるなら、実に合理的な仕組みなのではないかとも思える。
それはどうでしょうね?? 日本の昭和30年代が懐かしいからって、もうあの頃には戻りたくないのと同じ気分です。
>「自分で尻を拭かない奴」が多過ぎること
それは、ソビエト型社会主義国家の弊害でもあったと思います。
旧ソ連の欠陥を指摘すればきりがありませんが、一言でその失敗を総括すれば、「人間のネガティブな面を認めようとしない究極のポジティブ・シンキングにあった」と私は考えています。だから誰にでもある自分の行いの矛盾には頬かぶりし、行き詰って問題を先送りする「自分で尻を拭かない奴」が跋扈し、国が崩壊したのだとは言えないでしょうか? そして、それは今の日本社会もまったく同じなのです。
また、社会には「自由」も「規制」も両方必要ですが、ネガティブな発言をし、ネガティブな芸術を創作する人間を認めず取り締まり、粛清しようとした政府の度量の無さが多くの亡命者を生み、国家を崩壊させた要因のひとつであったとも思っています。
・・・・・・そうした時に、みなみ(スターリン)は、正義(ショスタコーヴィチ)の打ち出してくるそれらのアイデアについて良し悪しを判断しないよう心がけた。時には疑問に思うものもないではなかったが、それを口には出さず、ほとんど無条件でその実行を手伝った。
 それは、アイデアの良し悪しを判断するのは自分の役目ではないと思っていたからだ。『マネジメント』にはこうあった。
 あらゆる組織が、事なかれ主義の誘惑にさらされる。だが組織の健全さとは、高度の基準の要求である。自己目標管理が必要とされるのも、高度の基準が必要だからである。
 成果とは何かを理解しなければならない。成果とは百発百中のことではない。百発百中は曲芸である。成果とは長期のものである。すなわち、まちがいや失敗をしない者を信用してはならないということである。それは、見せかけか、無難なこと、下らないことにしか手をつけない者である。成果とは打率である。弱味が無いことを評価してはならない。そのようなことでは、意欲を失わせ、士気を損なう。人は、優れているほど多くのまちがいをおかす。優れているほど新しいことを試みる。(一四五〜一四六頁)
 みなみ(スターリン)は、正義(ショスタコーヴィチ)のやろうとしていることの良し悪しは分からなかったが、それが「新しいことを試み」ているというのはよく分かった。だから、彼の「意欲」や「士気」を大切にしようとしたのだ。・・・・・・
「もしスターリンがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」
じゃなかった!!(爆)
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」 岩崎 夏海 (著) ダイヤモンド社より
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%82%E3%81%97%E9%AB%98%E6%A0%A1%E9%87%8E%E7%90%83%E3%81%AE%E5%A5%B3%E5%AD%90%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%81%8C%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%80%8E%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%82%B8%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%80%8F%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%93%E3%81%A0%E3%82%89-%E5%B2%A9%E5%B4%8E-%E5%A4%8F%E6%B5%B7/dp/4478012032/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1279287711&sr=1-1
今朝は、私も過去の行いを反省しているのです。
進歩っていうのは、失敗の連続の歴史なのです。
個人も、国家も、人類も・・・。

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちわ。
そうでした、雅之さんはリヒテルの実演を聴かれていたんですよね!まぁ、若い時には若い時なりの「思い出」として胸に秘めておけばいいじゃないですか!!少なくとも「聴いた」という事実は残りますから。
>日本の昭和30年代が懐かしいからって、もうあの頃には戻りたくない
夢想に過ぎないですが、「何も知らなかったあの頃」はやっぱり良かったかもなぁとふと思うことが僕にはあります。昭和30年代に戻ってみたいと真面目に思うこともあるくらいです。ただまぁ、いつものように僕の書き方も曖昧ですから、真意が伝わらなかったことについては申し訳ございません。資本主義でも社会主義でも、少なくとも人間が創ったものというのは一長一短がありますよね。あくまでその長所についてフォーカスを当てて述べているだけですから、雅之さんの意見もごもっともです。
>「人間のネガティブな面を認めようとしない究極のポジティブ・シンキングにあった」
そうでうすよね、ポジティブ・シンキングというのは一歩間違うと管理者のご都合主義のようになってしまいます。まったく同感です。
>そして、それは今の日本社会もまったく同じなのです。
そう、これが問題なのです!昨日、永ちゃんも結局そういうことが言いたかったようです。
>ネガティブな発言をし、ネガティブな芸術を創作する人間を認めず取り締まり、粛清しようとした政府の度量の無さが多くの亡命者を生み、国家を崩壊させた要因のひとつであったとも思っています。
やっぱり、「不安」が人間のゆく道を狂わせますよね。おおらかになりたいものです。
>「もしスターリンがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」
なるほど!!

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