フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのブラームス第4番(1943.12Live)ほかを聴いて思ふ

第1楽章アレグロ・ノン・トロッポ冒頭の主題の歌わせ方は、他のどの指揮者にもないうねりと激しさを持つ。後年の解釈と基本は変わりない。しかし、時が戦時中ということもあろうか、内在する怒りと悲しみの音調は、残されたいつの時代の演奏よりも白熱した、赤裸々な心情吐露のような響きなのである。何とも一期一会的名演。

かくて彼の芸術は純真素朴であり、いつも人間的でありました。彼は徹頭徹尾純朴で、徹底して自然のままのむき出しで、しかも徹底して彼自身であることを保ちつづけるだけの意力を持っていました。彼の芸術は、―ワグナーと並んで最後のドイツ的作曲家として、―世界的評価をかちえました。しかもそれは完全にドイツ的であり、そのうえ、はなはだ非妥協的なものであったにかかわらず、―というよりも、むしろ、それゆえにこそこの声価をかちえたのでした。
「ブラームスと今日の危機」(1934)
フルトヴェングラー/芳賀檀訳「音と言葉」(新潮文庫)P109

一言で表現すると、ブラームスは箸にも棒にも引っかからないほどの頑固者だった。
だからこそ、彼は自分自身を生涯にわたって追究できたのである。フルトヴェングラーの方法もおそらく若き日から変わらない。第3楽章アレグロ・ジョコーソ、トリオ直前の主題を少々リタルダンド気味にテンポを落とす、絶妙な移ろいが素晴らしい。圧巻は、終楽章アレグロ・エネルジーコ・エ・パッショナート!僕は、フルトヴェングラーの再現部直前の静けさにいつも怖れを抱く。特に、第24変奏以降の劇的な解釈は、やり過ぎの感が否めないものの、他の誰よりも厳しく音楽的な動きを持ち、突進する様が本当に感動的だ。

・ブラームス:交響曲第4番ホ短調作品98(1943.12.12&15Live)
・リヒャルト・シュトラウス:4つの歌曲(1942.2.15&17Live)
―「誘惑」作品33-1
―「森の幸福」作品49-1
―「愛の讃歌」作品32-3
―「冬の愛」
ペーター・アンデルス(テノール)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

残響豊かな旧ベルリン・フィルハーモニーでの、心温まるシュトラウスの歌。
「愛の讃歌」での、ヴァイオリン独奏を背景に、虚ろなアンデルスの歌唱が極めて美しく響く。何よりフルトヴェングラーのシュトラウスへの敬意を示す熱い伴奏に感無量。続く、短い「冬の愛」の激しさ溢れる歌に、わずか46歳で亡くなったアンデルスの、類稀なるセンスを垣間見る。もっと長生きできていたら、この人は戦後ドイツを代表するテノールになっていたかもしれないと思うと、残念でならない。
そういえば、かつて吉田秀和さんが次のように書かれていた。

僕がフルトヴェングラーをはじめてきいたのは、1954年の春、イタリアの旅を終えてパリに戻った5月初めのことだった。
僕のあわたただしい旅行の間に、ニューヨークではトスカニーニが引退し、11月30日には南独のバーデン・バーデンでフルトヴェングラーが死んだ。そのほかにも4月にはパリの音楽院の院長デルヴァンクールが自動車事故で急逝し、ハンブルクのオペラのペーター・アンデルスが同じ自動車事故で9月の末だったかに死んだ。彼の柔らかな声はミュンヒェンできいた。「ニュルンベルクの名歌手」のシュトルツィングを歌っていた。僕はあんまり気にいらなかったが、いかにもドイツ風のテナーだった。気品もあった。
「荘厳な熱狂―パリのフルトヴェングラー」
吉田秀和「フルトヴェングラー」(河出文庫)P11

最晩年とはいえ、フルトヴェングラーの実演を聴かれた吉田さんが心底羨ましい。
僕は、やっぱり戦時中のフルトヴェングラーの実演が聴きたかった。
それらは実況録音で聴いても、神がかっている。

 

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