シベリウス・アカデミー四重奏団のシベリウス四重奏曲全集(1980-88録音)を聴いて思ふ

抑圧的で、内気なジャン・シベリウスが恋をした。25歳。
彼は、彼女の正直さと清楚さに惹かれたという。
アイノ・ヤーネフェルト。19歳。
しかし、しばらくは勇気が出ず、想いを打ち明けられなかったが、ある日、音楽院のコンサートの後でついに告白、プロポーズし、彼女はそれを優しく受け入れた。
1890年9月29日のこと。
ブルックナーかブラームスに師事をしたいと考えていたシベリウスは、翌月、ついにウィーンに留学する。残念ながら目的は叶わなかったが、ウィーン滞在中、底知れぬ感動を受けたのが、ハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルによるブルックナーの交響曲第3番(改訂稿)の演奏会だったという。彼が聴いたのは初演なのか二度目の公演なのか定かではないが、当時のブルックナーの、ワインガルトナー宛の手紙が残されていて、実に興味深い。

日曜日に「ニ短調交響曲第3番」の二度目の演奏会がありました。指揮・ハンス・リヒター―理想的。演奏・フィルハーモニック・オーケストラ―完璧。これに加うるに極めて感性の鋭い聴衆とかつてなかった程の熱狂と賞讃の嵐。これを新聞に書いていただけませんでしょうか。素晴らしい記事になると思います。「第8番」はどんな具合ですか。もうリハーサルは始まりましたか。実際耳にした感じはどうですか。フィナーレは、指示してあるように断固カットして下さい。そうしないと冗長にすぎます。この曲は後代にこそふさわしいもので、いまそのよさを分かってくれるのは友人とか専門家だけです。それから、テンポは、(明澄さを保つ為に必要とお考えならそれに従って)いかようにも変えて下さい。
(1891年1月27日付、ウィーンのブルックナーよりマンハイムのフェリックス・ワインガルトナー宛)
「音楽の手帖 ブルックナー」(青土社)P59

作曲者自身が理想的かつ完璧だったと評した交響曲第3番に若きシベリウスは打ちひしがれたことだろう。

ちなみに、ウィーン留学前の90年10月に初演された弦楽四重奏曲変ロ長調の内側から聴こえるのは、臆病さを伴う彼女への憧憬と、鬱積する恋心。聴いていて、何だか胸が締め付けられる。なるほど、臆病な憧憬も沈潜する恋心もブルックナーの作品にも通底する感情だ。この二人の天才の作品に見られる「孤高」は、溜め込まれた純粋な情緒が爆発するときに生じる赤裸々な生命の発露と言えまいか。何というカタルシス。

シベリウス・アカデミー四重奏団の演奏を聴いた。
収録された時代のせいか、それとも会場のせいか、不自然なくらい残響が豊か。音楽が美しく鳴る。

シベリウス:弦楽四重奏曲全集
・弦楽四重奏曲変ホ長調(1885)(1988.12録音)
・弦楽四重奏曲イ短調(1889)(1984.10録音)
・弦楽四重奏曲変ロ長調作品4(1890)(1984.11録音)
・弦楽四重奏曲ニ短調作品56「親愛なる声」(1909)(1980.12録音)
シベリウス・アカデミー四重奏団
セッポ・トゥキアイネン(ヴァイオリン)
エルッキ・カントラ(ヴァイオリン)
ヴェイッコ・コソネン(ヴィオラ)
アルト・ノラス(チェロ)

変ロ長調作品4第1楽章アレグロの主題は、歌謡調で、どこか悲しげだ。また、尊敬するブラームスの調子をまねたような第2楽章アンダンテ・ソステヌートの、親しみやすい旋律に僕は惹かれる。そして、第3楽章プレストにある喜びの表情はアイノへの言葉のない恋文か、あるいは終楽章アレグロこそ勇気を喚起する音楽か。

一方、円熟期の作であるニ短調作品56「親愛なる声」の内省的な曲想は、難聴や咽頭腫瘍という大病を乗り越えた作曲家の精神状態を見事に反映するものだ。民族的曲調の第4楽章アレグロ(・マ・ペザンテ)が弾け、終楽章アレグロがうなりをあげ、前のめりに進むが、特に、第3楽章アダージョ・ディ・モルトの慟哭は、暗澹たる中に透明な安息の表情を醸す絶品。
習作2曲についてはいずれまた。

 

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