ブーレーズ指揮ベルリン・フィルのラヴェル「スペイン狂詩曲」(1993録音)ほかを聴いて思ふ

ravel_rapsodie_espagnole_bolero_boulez_bpo166外見は冷静沈着でありながら、中身は実に熱狂に満ちるピエール・ブーレーズの音楽。少なくともこの人が20世紀の同郷の作品を演奏した時に、音楽が何とも表現し難い恍惚に包まれるように感じるのは僕だけだろうか?
モーリス・ラヴェルの緻密で有機的な音楽が、ブーレーズの棒を得て見事に再現される。他では決して味わうことのできない、あまりに洗練された(され過ぎた)フランス美学がそこかしこに明滅する。

モーリス・ラヴェルは世紀末の「現実主義者」のなかでは特別なケースに当たる。彼は垢抜けた都会人で、エジソンのシリンダーを背負って山腹を歩き回るような気質ではなかった。しかし、その短くも輝かしい活動期間のなかで、かなり多くの種類の民族的素材―スペイン、バスク、コルシカ、ギリシア、ヘブライ、ジャワ、日本などさまざま―を用いた。ラヴェルもまたフォノグラフを聴いており、フレージング、テクスチュア、拍の微妙な細部に敏感だった。類い稀な感情移入の力を持った道楽者の紳士だったラヴェルは、巷の一介の人間として一日を過し、それからその経験を屋根裏の自室で再構成することができた。
アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽」(みすず書房)P88-89

小柄なこの天才の、あまりに想像を絶する創造能力に舌を巻く。とにかく幼少の頃からの刷り込みが後々までものを言ったということ。いわゆる潜在的記憶に優れていたということだ。それでいて愛国心強く、血気盛ん。そういう性質すべてが彼の音楽に刻まれる。

モーリス・ラヴェルもちょうど同じ頃あやうく死ぬところだった。小柄な作曲家は兵役を免除されるはずだったが、ランスの爆撃に激怒し、トラック運転手として入隊した。1916年の春には、前線のすぐうしろに配備され、ヴェルダンの戦いのあとのぞっとするような光景を目撃した。爆弾が周りに降ってくると、しばしば穴のあいた道路を前後に縫うように進まなくてはならなかった。ある晴れた日、誰もいなくなった町に入り、誰もいない静かな通りを歩いたことがあった。「この種の物音のしない恐怖以上に深くまた奇妙な感情を今後体験することはないだろう」と書いている。
~同上書P98-99

静寂という名の恐怖も同じくラヴェルの音楽に投影される。そのあたりのニュアンスを的確に捉え、ほとんど機械仕掛けのように、しかも感情豊かに再生したのがブーレーズその人。

ラヴェル:
・マ・メール・ロワ
・海原の小舟~「鏡」第3曲
・道化師の朝の歌~「鏡」第4曲
・スペイン狂詩曲
・ボレロ
ピエール・ブーレーズ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1993.3録音)

おとぎ話「マ・メール・ロワ」のあまりの美しさ。物語の根底に流れる憧憬の念がこれほど自由闊達かつ一分の隙もなく表現されたケースはあまりないのでは?これこそブーレーズの真骨頂!
そして、「スペイン狂詩曲」の、ラヴェル本人は直接には知らないだろうに、ノスタルジック溢れる第1曲「夜への前奏曲」に感涙。続く第2曲「マラゲーニャ」はベルリン・フィルの機動性を駆使したあまりに完璧な音響、さらに第3曲「ハバネラ」の、静かで緩やかな夢見る音楽はラヴェルの想像力とブーレーズの創造力の掛け算の賜物。第4曲「祭」冒頭のきめ細やかな動きを持つハープの美しさと、その上を駆け抜ける木管のメロディに心動く。中間部のコーラングレの何とも言えぬ歌に惚れる。

最後の、静かに血がたぎる「ボレロ」はベルリン・フィルの各奏者のソロが光る名演奏。素晴らしい!

 

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