夫婦の関係がもめるという話をよく耳にする

brahms_joachim_hungarian_dance.jpg夫婦の関係がもめるという話をよく耳にする。以前から何度も書いていることだから、しつこく書くのは止しておくが、そういう時は一方の話を聴くだけでは不完全で、もう一方の話をじっくり聴いてみたいとつくづく思う。得てして「全く違った話」が聴こえてくるのだが、誰もが「自分は正しい」と思っているわけだからそれは致し方ないことだろう。何も夫婦の関係に限ったことでもない。上司と部下の関係でもそういうことは多い。

そういう時、相手の立場になって物事を捉える、考えられるということが当たり前だが大事になってくる。昨日の「大局観」ではないが、「大人になる」ということは「相手の視点から物事が考えられる余裕をもてる」ということなのだろう。理論派の人は、喧嘩も理路整然としており、いわゆる喧嘩にならないらしい。そう、相手を余計に感情的にさせてしまうのだとか。目には目をでないが、時には感情でぶつかり合うということも、夫婦という「人間関係」においては大切なことかも。

逃げちゃだめ、誤魔化すのもだめ。理論武装などもってのほか。ただ感情のままに・・・。

英国の作曲家エドワード・エルガーは1889年5月8日、音楽教室の生徒だったキャロライン・アリス・ロバーツと結婚する。時にエルガー32歳、アリス40歳。何と8つも姉さん女房だということだ。少なくとも僕のこれまでの経験上、年上女房の場合、夫婦の関係がもめることは少ないように思う(勝手な統計なので詮索なきよう)。男は誰しも母性を求めている。やりたいようにやり、好きなように振舞わせてもらえる、そんな母のような女性を伴侶にすると、才能が開花されるのか、物事が不思議なほど順調に進むことが多い。面白いものだ・・・。

そういえば、ブラームスの母親も父親に比べて随分年長だったと思う。仲は決して良くなかったのだろう、そのお陰でヨハネスは女性恐怖症にでも陥ったのか、生涯結婚することはなかった。

ブラームス:ハンガリアン舞曲集(全21曲)(ヨーゼフ・ヨアヒム編曲)
ヨアヒム:ロマンス変ロ長調
アーロン・ローザンド(ヴァイオリン)
ヒュー・サング(ピアノ)

ポルタメントが多用されたこのロマンティックな演奏を初めて聴いたとき度肝を抜かれた。いかにもジプシー風の、これこそ「ハンガリアン舞曲」だといわしめる最高のパフォーマンスのひとつだと僕はその時思った。そして、その思いは今でも変わらない。

こういう音楽を聴いていると、ヨハネス・ブラームスという男は、実は女性好きで、本当は心から結婚したかった、そんな願望をもっていたんじゃないのかと思えてくる。父親同様、根っから甘えさせてくれるそんな年上女房に憧れていたのではないか・・・、やっぱりクララ・シューマンとは・・・。そんなことを妄想させてくれる1枚だ。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
「大局観」とは、将棋や囲碁の用語ですよね。
「大局観に優れると、駒がぶつかっていない場所から意表を突く攻めを行うなど、長期的かつ全体的な視野のもと手を進めることが可能となる。反対に大局観が備わっていなければ、盤上の一部での駒のぶつかり合いや、短期的な駒の損得しか考えられなくなる。多分に直感的なもので、コンピュータ将棋やコンピュータ囲碁では完全に再現は不可能・・・」(ウィキペディア「大局観」の項より)
年下ですけど私が心から尊敬する将棋の棋士、羽生善治さんは、10代、20代のころと比べ、記憶力や反射神経は衰えたそうですが、経験を積み重ねる中で培った「直感」や、勝負の流れを読む「大局観」などを生かして勝負することを心がけているそうです。
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/060713/index.html
「全体を判断す目とは、大局観である。1つの場面で、今はどういう状況で、これから先はどうしたらいいのか、そういう状況判断ができる力だ。本質を見抜く力だと言ってもいい。その思考の基盤となるのが、勘、つまり直観力だ。直観力の元になるのは感性である」
「将棋に限らず、ぎりぎりの勝負で力を発揮できる決め手は、この大局観と感性のバランスだ。感性は、どの部分がプラスに働くと言うのではなく、読書をしたり、音楽を聴いたり、将棋以外の人と会ったり・・・と言うさまざまな刺激によって総合的に研ぎ澄まされていく」
「『いかに戦うか』は大局観にかかわるが、その具体的な戦略は事前研究が決め手となる。事前にしっかり準備して万全の態勢で対局に挑んでくる人は手ごわい人だ」
「『想定の範囲内』と言う言葉が流行ったが、何事においても事前の研究は大切であろう。大局観と事前研究があるからこそ、最善の戦略も生まれるのだ」(以上 羽生善治著「決断力」より)
http://www.amazon.co.jp/%E6%B1%BA%E6%96%AD%E5%8A%9B-%E8%A7%92%E5%B7%9Done%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%9E21-%E7%BE%BD%E7%94%9F-%E5%96%84%E6%B2%BB/dp/4047100080/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1282253837&sr=1-1
羽生さんの言葉、私には中々実践できていませんが、示唆に富んでいて勉強になります。
ところで、
>理論派の人は、喧嘩も理路整然としており、いわゆる喧嘩にならないらしい。そう、相手を余計に感情的にさせてしまうのだとか。
えっ!そうなんですか?
「今の妻が科学を理解できないのは嬉しいことです。前の妻は理解できたんです」(アインシュタイン)・・・なるほど!ってか?(爆)(でも、私は初婚)
・・・・・・未知の局面は偶然に現れるものではない。自分と相手が1手1手を決断していく過程で現れたものだ。自分のアイデアは案外決まっているので、対戦の中で、相手にいろいろ引き出してもらうことも多い。対局中に、「次のアイデア」が浮かぶ事もある。「次はどうやろう」と言うアイデアがどんどんストックされていくのだ。
相手との指し手の中で、知らなかった場面が現れる、発見ができる。そういうことは意義のあることだと思っている。・・・・・・
・・・・・・慣れていない、感覚でとらえられない局面には、たとえ失敗があったとしても、挑戦の楽しさがある。その中で様々な発見をし、充実感を持てる。将棋にかかわらず、何事でも発見が続くことが、楽しさ、面白さ、幸せを継続させてくれると思っている。・・・・・・(羽生善治著「決断力」より)
夫婦も同じかもしれませんね(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんわ。
>経験を積み重ねる中で培った「直感」や、勝負の流れを読む「大局観」などを生かして勝負することを心がけているそうです。
なるほど、将棋には疎いですが、羽生さんの言葉それぞれが奥深いですね。それと、アインシュタインの言葉も初めて知りましたが、本当にすごいですね、この人は。すべてが真理です。
>自分と相手が1手1手を決断していく過程で現れたものだ。
どんなことでも他人あってのもの。やっぱり「関係」ですね。
僕はセミナーや講演でも気をつけているのですが、事前に原稿を作り過ぎないことが大事だと想います。その時の観衆を観て初めて流れがつかめるというか・・・。まさに「相手にいろいろ引き出してもらうことも多い」ということだと想います。もちろん夫婦もそうですよね(笑)。

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