鴨長明の「方丈記」冒頭は、宇宙森羅万象の神髄を見事に言い当てる。
変わることを恐れてはならない。
昨夜のチョン・キョンファの演奏は、人間的でとても温かかった。音楽には、その人の生き様や人間性が反映される。音楽しか感じさせない、中性的な透明感も素晴らしいが、艶やかで、感情的起伏の明らかな演奏はもっと魅力的だ。年齢を重ね、創造する音楽の質は変わる。時の流れとともに革新が起こり、熟成されれば良し。もちろん彼女の若き日の凄演は、他の追随を許さぬ感動を今もって僕たちに与えてくれる。一方、70歳のチョン・キョンファの音楽は、誰にも奪うことのできない成功と挫折の双方が刻印された、儚い名演奏だ。
宇宙におけるいっさいの現象は変化であり、永遠の生成と消滅とである。それでも、大自然はこの久遠の輪廻の輪からのがれようとするものであるらしく、つねに新たな世代と、より高度に形成された新しい様式とを創造することにより、死を克服しようと努めてやまない。しかし、古人が嘆じたように、人間も「やがてうつろい消えてゆく。眺めくらせし花々のはかなき美にも似たるかな」。しかしそのとき、魂は、はるかなる失われた故郷へのかすかな追憶を、なおもいだき続けているかのごとく、精神が起ちあがり、生死の彼方になにものかを求めるのである。そして、この永遠への憧憬のなかで、精神は宗教的、精神的、芸術的諸価値を創造し、それらの光を彼の同時代および後世に放射する。精神はかくして、その束の間の地上の生存を超えて生き続けるのである。
「芸術と人生」
~エトヴィン・フィッシャー/佐野利勝訳「音楽を愛する友へ」(新潮文庫)P14-15
フィッシャーは大宇宙の真理がわかっていたようだ。
道理で彼の奏する音楽が素晴らしいはず。中でも、エリーザベト・シュヴァルツコップが、おそらく声の全盛期にフィッシャーの伴奏を得て録音したシューベルトの歌曲が美しい。水も滴る清らかで温かみのあるピアノの音色に吸い付くように発せられる歌声。言葉がない。
シューベルト:歌曲集
・鳥たちD691(シュレーゲル詩)
・恋する者のさまざまな姿D558(ゲーテ詩)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)(1948.5.21録音)
・音楽に寄すD547(ショーバー詩)
・春にD882(シュルツェ詩)
・憂いD772(コリン詩)
・ガニュメートD544(ゲーテ詩)
・草原の歌 D917(ライル詩)
・糸を紡ぐグレートヒェンD118(ゲーテ詩)
・恋人のそばにD162(ゲーテ詩)
・若い尼僧D828(クレイジャー詩)
・シルヴィアはだれか告げようD891(シェイクスピア詩/バウエルンフェルト訳)
・水の上で歌うD774(シュトルベルク詩)
・はなだいこんD752(マイヤーホーファー詩)
・ミューズの息子D764(ゲーテ詩)
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)(1952.10.4-7録音)
・万霊節の日のための連禱D343(ヤコビ詩)(1954.1.9-10録音)
・焦燥~「美しい水車屋の娘」D795(ミュラー詩)(1954.1.9-10録音)
・野ばらD257(ゲーテ詩)(1957.6.11録音)
・泉のほとりの若者D300(ザリス=ゼーヴィス詩)(1962.12.7録音)
・孤独な人D800(ラッペ詩)
・ますD550(シューバルト詩)
・恋はいたるところに~「ヴィラ・ベッラのクラウディーネ」D239(ゲーテ詩)
・至福D433(ヘルティ詩)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)(1965.8.22.27録音)
・私のクラヴィアに寄せてD342(シューバルト詩)
・魔王D328(ゲーテ詩)
ジェフリー・パーソンズ(ピアノ)(1966.4.21-29録音)
エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
若き日のシュヴァルツコップの縦横無尽の歌。何より彼女は音楽が楽しくて仕方がない様子。
ところで、1983年の来日時、河村錠一郎氏とのインタビューで、河村氏が夫君レッグ氏の苦悩の話については魅力的でないからもっと肯定的な話に転じようと申し出たとき、シュヴァルツコップは次のように答えたという。
なぜ魅力的でないといえますの。それに魅力的でないことをこの本(ウォルター・レッグ回想録)に盛り込むことを夫はなんとも思わないでしょう。人生は魅力的ではないことがしばしばですもの。人生はジャングルです。
~「レコード芸術」1983年12月号(音楽之友社)P220
彼女も人生の何たるかをわかっていたのだと思う。
生きることの酸いも甘いも体験した女性の音楽は深い。それが単に感情的に聴こえるというだけだ。要は聴き手の問題なのである。
フィッシャーとの「水の上で歌う」の、思い入れたっぷりの歌。フィッシャーの淡々と奏でられるピアノ伴奏が彼女の歌唱に美しく絡み、絶妙な味を出す。あるいは、弾けるムーアの伴奏による「至福」の、文字通り愉悦に富む歌が心に染みる。
全心を傾注しきっているときの創造的人間は、神々しいものであります。しかし万一、不幸にして君の心にうつし出された内部の世界を、自分の作品のなかに実現することが君に許されていない場合にも、それでも君の眼ははじめて偉大なる音楽家の作品に向って開かれることになるのです。巨匠の作品は、あたかも容器のようなものであって、いつでも君の精神のながれを受けいれようと待ちかまえているのです。名曲という、このみごとな構成物こそ君の存在の他の反面なのだ。暴力を加えることなくそれをかきいだき、それに生気をあたえなさい。それによって自己をたかめ、そして成長してください。予感されたる国の、この神々のすがたともいうべき巨匠の作品に、君のあたたかい生命のちからをおあたえなさい。
「若き音楽家への挨拶」
~エトヴィン・フィッシャー/佐野利勝訳「音楽を愛する友へ」(新潮文庫)P10-11
フィッシャーの言葉は温かい。
シュヴァルツコップの歌は神々しい。
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