チョン・キョンファ 70th Anniversary リサイタル

彼女は、往年の輝きを確実に取り戻したように僕は思う。
音程が不安定なときもある。音が乱れる時もある。だから、あくまでそれは老練の輝きだ。19世紀末の独逸浪漫の音楽が、あるいは仏蘭西エスプリ薫る音楽が、感情と官能を併せ持ち、生き物のように表現される様に、僕は狂喜した。確かに音楽とは生命だ。舞踊だ。彼女の全身から漲るオーラが、伴奏者に憑依し、時の経過とともに呼吸が見事に一致していく様子に息を飲んだ。僕はとても感動した。

強いてタイトルをつけるなら、「エロス・タナトス」か。
生と死の錯綜するドラマ。謹厳実直な音楽たち(バッハ&ブラームス)は枠を超え、飛翔した。あるいは、雲のように流れ、空気のように浮沈する音楽たち(フォーレ&フランク)は、逆に枠に収まらんと、内に内にエネルギーを発していた。ほとんど魔法。

70歳になったチョン・キョンファの奏でる音楽には、世紀末退廃に狂う西洋的二元の浪漫と東洋的融合の血が混合する、不思議な妖艶さがある。それは、少なくとも若い頃の彼女にはなかったものだ。僕は、幾度も音楽の中に吸い込まれた。

ガブリエル・フォーレ、30歳の作。
迸る恋の炎に、生の喜び、性の解放を見た。第1楽章アンダンテ・モルトから彼女は燃えた。聴衆はそれに反応したのかどうなのか、第1楽章が終った時点で猛烈な拍手が起こった。いかにも遠慮がちに、否、謙虚に応対しながらも、一呼吸おいて続けられた第2楽章アンダンテの、内側に籠る愛を表現する沈潜する激しさを伴う演奏!第3楽章アレグロ・ヴィーヴォの歌謡的舞踏に痺れ、終楽章アレグロ・クワジ・プレストの清廉な熱に思わず僕は(心の中で)唸っていた。素晴らしい。

そして、ヨハネス・ブラームス晩年のソナタ第3番は、まるで友人たちの死による諦念から逃れんとするばかりの、生の謳歌。チョン・キョンファの演奏は、死の色合いを消去する希望の調べと言えまいか。特に、第2楽章アダージョの、枯れた官能が美しかった。

チョン・キョンファ 70th Anniversary リサイタル
2018年6月5日(火)19時開演
東京オペラシティ コンサートホール
チョン・キョンファ(ヴァイオリン)
ケヴィン・ケナー(ピアノ)
・フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番イ長調作品13
・ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調作品108
休憩
・J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調BWV1004~第5曲シャコンヌ
・フランク:ヴァイオリン・ソナタイ長調
~アンコール
・ラフマニノフ:ヴォカリーズ
・ドビュッシー:美しき夕暮れ

後半冒頭は、十八番ヨハン・セバスティアン・バッハの「シャコンヌ」だが、演奏前にチョン・キョンファ本人から「かつてより自身の招聘に尽力していただいた泉征郎さんに捧ぐ」という献辞があった。演奏は、言葉にならないくらい熱を帯びた、そして動きのあるものだった。僕はこれまで彼女の「シャコンヌ」を幾度も(5回?)聴いているが、今まで聴いたことがない官能性とでも言おうか、バッハの音楽が縦に横に揺れ、聴衆を扇動、金縛りにした。何て感情的な、それでいて哲学性や知性を失わない見事な音楽なのだろう。言葉がなかった。

さらに、セザール・フランクのソナタの、ピアニストと一体となった演奏は、第1楽章アレグレット・ベン・モデラートから官能的な死の衣装を纏い、浮いては沈み、沈んでは浮き出す楽想の妙に僕は膝を打った。長い第2楽章アレグロも一切の弛緩を許さず、集中力に富んだ厳しい演奏。幻想的な(しかし暗澹たる)第3楽章レチタティーヴォ・ファンタジアを経て、解放的愉悦的な終楽章アレグレット・ポコ・モッソに至り、(曲の進行とともに)音楽は一層熱を帯び、速度を増し、ついに死はまた生として蘇った(愛と死のドラマ!!)。

ちなみに、アンコールのヴォカリーズは少々遊びすぎ(?)の感あり。
短い「美しき夕暮れ」も、静謐で幻想的だった。
とても人間的な一夜。良い時間だった。

なお、「チョン・キョンファは『マキシミリアン・ヨーゼフ国王(ストラディバリウス/1702年製作)』を所有し、昨今の公演や録音等をおこなっておりますが、今夜は、東京オペラシティ・コンサートホールの音響・残響、ピアノとのバランスを考慮し、『クーベリック(ガルネリ・デル・ジェス/1735年製作)』で演奏いたします」という触書があった。楽器の違いが、演奏の印象の違いにつながった可能性もあるのかも。

 

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