拡大することが発展、進化であると信じていた人々に、縮小こそが何よりの深化であることを教えてくれたのはアントン・ヴェーベルンでなかったか。シモーネ・ヤング指揮するアントン・ブルックナーの「ロマンティック」(第1稿)にとても衝撃を受けた。天才の最初のインスピレーションは、歴史上前例のない、各々のブロックが独立した、あるいは分断されたカオスの音楽だったのだから。
あれを真正のブルックナーだとするならば、ブルックナーを因数分解、否、微分すると辿り着くのがヴェーベルンではなかろうか。極限まで小さくしたフレーズや間、巨大な音塊を音楽的に非だとするならば、極小のミクロコスモス的音楽はフラクタルなのだと僕は空想した。
この際外面はどうでも良い。そもそも、様相の異なる各々の作品の内側から醸されるエネルギーがほとんど同じなのだから、彼らは音楽史上後にも先にもない孤高の天才であり、また双子に違いない。
ヴェーベルンは、先達を敬愛する。彼が編曲を試みた古の天才たちの作品は、いずれもが愛情に満ちる。
ヴェーベルン:
・管弦楽のためのパッサカリア作品1(1908)(1994.9録音)
・5つの楽章作品5(弦楽合奏のための)(1909)(1994.9録音)
・管弦楽のための6つの小品作品6(1909)(1994.9録音)
J.S.バッハ(ヴェーベルン編曲):
・6声のフーガ(リチェルカータ)~「音楽の捧げもの」より(1934-35)(1993.3録音)
シューベルト(ヴェーベルン編曲):
・ドイツ舞曲集遺作D820(1931)(1993.3録音)
ヴェーベルン:
・大管弦楽のための牧歌「夏風の中で」(1904)(1994.5録音)
ピエール・ブーレーズ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
色彩豊かに縁どられたフリードリヒ大王のテーマの、柔らかく夢見心地の響き。ベルリン・フィルの完璧な機能美と相まって、バッハの衣を借りたヴェーベルンの創作の、ある意味頂点を築く音楽的魔法。冷徹なブーレーズが、ここに一滴の慈しみを垂らすことで、哀感伴う官能のフーガが蘇る。
シューベルトのドイツ舞曲もまた、何とも虚ろで優しい音響。内側からこぼれる喜びは、当時の作曲家の音楽活動の充実を示すよう。ここでもブーレーズの音楽はためを作り、柔和な色香を発する。そして、気温40度近くに迫る真夏日の夜半に涼風をもたらしてくれる初期の牧歌「夏風の中で」の、精妙かつ静けさに溢れる自然の美しさ。この頃のブーレーズの音楽は実に人間らしい。
続いて、ヴェーベルンの中期、いわゆる「歌曲の時代」。
注目すべきは、巷間言われるように、各種楽器を使用した伴奏部の色彩感。
この頃のブーレーズの音楽作りは怖いもの知らずで先鋭的。しかし、音は隅から隅まで瑞々しいのである。
ヴェーベルン:
・ソプラノと管弦楽のための4つの歌作品13(1914-18)(1967.11.3録音)
・声と4つの器楽のための6つの歌作品14(1917-21)(1967.11.3録音)
ヘザー・ハーパー(ソプラノ)
・ソプラノと5つの器楽のための5つの宗教的佳曲作品15(1917-22)(1969.1.7録音)
・ソプラノ、クラリネットとバス・クラリネットのためのラテン語詩による5つのカノン作品16(1923-24)(1969.1.7録音)
・声と3つの器楽のための3つの宗教的民謡作品17(1924-25)(1969.1.7録音)
・声、クラリネットとギターのための3つの歌曲作品18(1925)(1969.1.7録音)
ハリーナ・リコムスカ(ソプラノ)
コリン・ブラッドリー(クラリネット)
ジョン・ウィリアムズ(ギター)
・混声合唱と5つの器楽のための2つの歌曲作品19(1926)(1969.6.6録音)
ジョン・オールディス合唱団
・弦楽三重奏曲作品20(1926-27)(1971.5.14,20,21録音)
ジュリアード弦楽四重奏団員
・交響曲作品21(1928)(1969.6.2録音)
ピエール・ブーレーズ指揮ロンドン交響楽団
・ヴァイオリン、クラリネット、テナーサックスとピアノのための四重奏曲作品22(1930)(1970.4.4録音)
ダニエル・マジェスケ(ヴァイオリン)
ロバート・マルチェルス(クラリネット)
エイブラハム・ヴァインシュタイン(テナーサックス)
チャールズ・ローゼン(ピアノ)
・ヒルデガルト・ヨーネの詩集による3つの歌作品23(1934)(1970.9.5録音)
ハリーナ・リコムスカ(ソプラノ)
チャールズ・ローゼン(ピアノ)
・9つの器楽のための協奏曲作品24(1934)(1969.6.7録音)
ピエール・ブーレーズ指揮ロンドン交響楽団員
・ヒルデガルト・ヨーネの詩集による声とピアノのための3つの歌作品25(1934-35)(1970.9.5録音)
ハリーナ・リコムスカ(ソプラノ)
チャールズ・ローゼン(ピアノ)
後期様式の劈頭を飾る、ジュリアードによる弦楽三重奏曲が素晴らしい。緩やかな第1楽章の広がり、また活気ある第2楽章の力強さ。静と動が行き来し、光と翳が明滅する様に、モーツァルトを超えた天才を思う。そして、ブーレーズ指揮(小編成の)ロンドン響による交響曲の、一切の打楽器を排しながら厳しい音調で迫る緻密な音塊の静かなパワーに癒されるのだ(ホルンの深み、ハープの切れ味)。
これら2つの作品は、いずれも2楽章制だが、まさに陰陽融合の「一に帰する」傑作。
避暑にアントン・ヴェーベルンが美しい。
草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生して居ると、造化の秘密が段々分かつて来るやうな気がする
(明治35年8月7日)
~正岡子規著「病牀六尺」(岩波文庫)P141
病床ならずとも、ヴェーベルンの音楽もひたすら正直に傾聴すれば、段々分かって来るのだから面白い。
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