自律的に生きる

「人の褌で相撲をとる」という言葉がある。どうしても「ずるい奴」、「姑息な奴」というマイナスのイメージがつきまとう。確かにリスクは軽減されるのかもしれない。安全に見えるのかもしれない。しかし、そんなのは一時のことである。よくよく熟考してみると世の中に「保障」というものは存在しない。あるとするなら「自分自身」の中にあるだけだ。だとするなら、他人に頼るのではなく自律的に生きることを選択すべきである。

日経平均株価が1年4ヶ月ぶりに1万5千円割れだという。為替相場が一時108円という円高に急騰したことが背景にあるようだ。戦後日本はアメリカの庇護の下、復興、急成長を遂げてきた。確かに合衆国のお陰で今の日本があることは否めない。しかし、語弊のある言い方が許されるなら、日本国は政治の世界においても、経済界においても、明らかにアメリカという巨大組織に支配され、言われるがまま、なすがままの乳飲み子のようになってしまっているように僕には感じられる。とにかく日本としてのアイデンティティが全く感じられないのだ。

まるで自分自身にも言い聞かすようなのだが、他人に甘えず、自らのアイデンティティを明確にし、ぶれることなく進んでいけば必ず「成果」は上がってくるものだと僕は思う。それには「自分を信じる」力が必要だ。

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第15番ニ長調作品28「田園」&第32番ハ短調作品111
エリック・ハイドシェック(ピアノ)

ベートーヴェンには「田園」と称される楽曲が2つある。一つは誰もが知る名曲、交響曲第6番ヘ長調作品68。もう一つは、かの「月光」ソナタの次に書かれた初期の傑作ピアノ・ソナタ第15番ニ長調作品28。「田園」という名に相応しく、「癒し」、「安心感」に満たされた名曲である。
そして、最後のソナタ、第32番ハ短調。この2つの楽章で構成されているピアノ・ソナタ史上類を見ない神懸り的な至高の作品は、ベートーヴェンが好んで用いた「運命的」「悲愴的」「情熱的」な調性であるハ短調によって書かれている。激烈な第1楽章、そして沈思黙考する第2楽章。こんなにも聴いていて緊張感を要求される音楽は珍しいほどだ。

ちなみに、「田園」ソナタ第2楽章の中間部のメロディは、最後のソナタの第2楽章第2変奏のパッセージと相似形だ。それぞれ生み出された時期は違えども、「自然」や「神」というものへの「畏敬の念」が刷り込まれているように僕には感じられる。

ベートーヴェンは自分自身の才能を信じ、ぶれることなく自らの魂を貫いた。初期のソナタ、最後のソナタ、確かに魂のレベルは別世界だ。しかし、根底ではつながっている。そして、その楽聖の魂を再現するピアニスト、ハイドシェックも愚直に自らのポリシーを貫き、その芸術性を最高度まで突き詰めた稀有の演奏家なのである。

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