わかりやすく、簡潔に、しかも効果的に

verdi_un_ballo_in_maschera_abbado.jpg今日のような気だるい夏日にはイタリア・オペラはぴったりである。朝からヴェルディのオペラ全曲盤をBGMに、あれこれ考えた。

生涯で28ものオペラを作曲したジュゼッペ・ヴェルディは、多くの作品で大絶賛を受け大成功を収めたが、中にはこけてしまった作品も当然ある。特に初期、第1作目の『サン・ボニファーチョ伯爵オベルト』のそこそこの成功により、スカラ座からオペラ・ブッファ(喜劇)の委嘱を受けたものの、不運にも家族の不幸が重なり(長女に始まり、長男、そして挙句の果ては妻まで病気で亡くしてしまうのである)、仕事どころではなく、急かされてようやく発表にこぎつけたものの、次の『一日だけの王様』は、聴衆から野次り倒されて、完全な失敗作に終わった。そりゃそうだ。いくら天才といえどもそんな意気消沈しているときに、「喜劇」など書けようはずもない(これら初期のオペラに関しては未聴なので、作品を云々することはできないが・・・)。

28歳の時の『ナブッコ』の成功に始まり、全盛期には毎年1作~2作の新作を世に送り出し、そのほとんどが現代のオペラハウスの重要な演目になっていることを考えると、当時のヴェルディの精力旺盛な仕事ぶりは、今の世でいういくつも番組を抱えている売れっ子司会(島田紳助とかみのもんたとか)のようなものだろうか(うーん、ちょっと比較対象が違うか・・・笑)。そう、そのほとんどが聴衆に絶賛され、競うように各地で再演されたのである。当時のオペラ作曲家は今と違い、その仕事量は半端でない。契約した劇場に必ず出向き、歌手やオーケストラの練習につきあい、演出もし、最初の3回の公演に立ち会う習慣があったのだというから大変なものである。本当に寝る暇もなく締め切りの迫る作曲や練習に勤しんでいたのだろうことがよくわかる。(もともとは貧困から出発したため、ヴェルディは金銭的な執着や、常にトップでありたいという欲求を持ち続けていたらしく、なるほど天賦の才だけでなく、そういうモティベーションがあってこその成功なんだということもよくわかる)。

とにかく、ヴェルディにとって自作のオペラが興行的に成功することは何よりも重要なことだったらしい。常に聴衆に飽きさせないように意を凝らし、「わかりやすく、簡潔で、効果的な」展開を求め、考えつくしていたという(以前観た「紳竜の研究」で島田紳助が言っていたこととやっぱり重なる)。

「わかりやすく、簡潔で、効果的」か・・・。

確かに、聴いていただく相手を想定するとそうあるべきだろう。これはオペラに限らず、今の世のビジネスにも当てはまろう。僕は昔から悪い癖でついつい「難しく、わかりにくく」しゃべってしまう傾向が強い。とにかく短く簡潔にといつも言い聞かせているのだが・・・。勉強になります・・・。

ヴェルディ:歌劇「仮面舞踏会」
プラシド・ドミンゴ、レナータ・ブルゾン、カティア・リッチャレッリ、エディタ・グルベローヴァほか
クラウディオ・アバド指揮ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団

今からちょうど150年前にローマで初演された歌劇「仮面舞踏会」。聴衆があまりに熱狂し、「Viva Verdi!(ヴェルディ万歳!)」と街中に落書きをしたというエピソードはつとに有名(「Viva Verdi!」には「Viva Vittorio Emanuele Re d’Italia!(イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ万歳!)」という意味が重ねられている(サルディーニャ国王ヴィットーリオ・エマヌエーレは当時イタリア統一を目指していたらしい)。残念ながら、ヴェルディ・オペラにはとんと疎い僕は、内容そのものを云々するだけの耳と知識をもっていない。それでも、アバドのヴェルディは相変わらず完璧だと思う。各々の歌手の力量にも随分負っているだろうけど・・・。


2 COMMENTS

雅之

こんばんは。
またまた小泉さんネタで恐縮です。
私は政治家の小泉純一郎氏は大嫌いで、今日の日本を作った罪も深いと思っています(ただし、わかりやすく、簡潔に、しかも効果的に、が信条の政治家で、特にその演説の才能は凄いと思いました)。
ところが、一音楽ファンとしての小泉純一郎さんについては心から尊敬していますし、発言に共感する部分が多く、びっくりするほどなのです。
だいぶ前にご紹介しました、彼の著書「音楽遍歴」(日経プレミアシリーズ)は、文字数の少ない本ですが愛読書で、疲れた時などに時々楽しみながら読み返しています。
http://www.amazon.co.jp/%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E9%81%8D%E6%AD%B4-%E6%97%A5%E7%B5%8C%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-1-%E5%B0%8F%E6%B3%89-%E7%B4%94%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4532260019/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1247666657&sr=8-1
この本より、ヴェルディのオペラについて。
・・・・・・私はいまだに「ファルスタッフ」をいいと思わないし、「オテロ」も好きではない。
「オテロ」は晩年の傑作といわれているが、曲もヴェルディにしては、すっと耳に入ってくる良さが少ない。「オテロ」も「ファルスタッフ」も、ヴェルディの後期にできている。
名声を確立した後より、その前のほうが我々素人にとってはメロディの美しい曲が多い。
名声を得てしまうと、「俺の曲をわからなければいけない」「わからない人にはわからなくていい」という芸術家としての自負が強くなりすぎるのではないだろうか。・・・・・・
私もヴェルディのオペラは「椿姫」や「イル・トロヴァトーレ」「アイーダ」の方が好きで、ヴェルディの後期のオペラは未だに親しめないので、小泉さんのこの言葉には、とても共感しています。
さらにこの本から名言を・・・。
・・・・・・オペラが何をいちばん、表現するかといえば、愛だ。どんな立場でも、男でも女でも国籍を問わず、愛というのは人間にとって一番大事なもの。
オペラは、愛を音楽劇の形で表現する。だから嫉妬にしても憎悪を取り扱っても、オペラの中では「愛とは何か」の表現に結びつく。
(中略)
さまざまなオペラを観ていると、人間が最後までこだわるのもまた愛かなと思う。
権力も、愛の前ではむなしいものだ。・・・・・・
あーあ、今夜はこれ以上コメントを書きたくなくなっちゃいました(苦笑)。

返信する
岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
小泉さんの「音楽遍歴」、これは未読なんですが、やっぱり読んだ方が良さそうですね。なかなか良いこと書いてるじゃないですか!
僕も、ヴェルディをはじめとしたイタオペはそれほど聴き込んでいないので、世間一般で評価の高いヴェルディ後期の「オテロ」や「ファルスタッフ」に関してまだまだピンと来ておりません。
>名声を確立した後より、その前のほうが我々素人にとってはメロディの美しい曲が多い。
名声を得てしまうと、「俺の曲をわからなければいけない」「わからない人にはわからなくていい」という芸術家としての自負が強くなりすぎるのではないだろうか。
なるほど!そういう見方もあるんですね。納得できます。
>さまざまなオペラを観ていると、人間が最後までこだわるのもまた愛かなと思う。
権力も、愛の前ではむなしいものだ。
なるほど。真理ですね。しかし、今の日本の政治を見てるとこの言葉が虚しく響きます。
おっしゃるとおり、僕も政治家小泉純一郎の罪は深いと思います。

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む