メータの「復活」

クラシック音楽を聴き始めた頃、そう、僕がまだ高校生の頃だが、なぜかズービン・メータが指揮するモーツァルトの第40番交響曲と「アイネ・クライネ」がカップリングされたLPを購入し、繰り返し聴いていたことは以前も書いた。このモーツァルト、その時以来耳にしていないが、実に良かったという記憶しかない。今でこそ、ほとんどメータの音楽を聴くことはなくなったが、もう1枚当時の愛聴盤でとっておきのものがある。それから数年後、何の雑誌だったか覚えていないが、その中のエッセーで如月小春さんが絶賛していた録音で、彼女が2000年に亡くなったときにもふと思い出して、何度か繰り返し聴いた。久しぶりに、本当に久しぶりに聴いたが、これほど劇的で燃えに燃えたマーラーが他にあっただろうか・・・。

当時はとにかくブルーノ・ワルター命だった。第1番第9番はもちろん、第2番「復活」についてもワルター盤を擦り切れるほど聴き込んでいた。もちろんバーンスタインの旧盤もよく聴いていた1枚だが、それ以上に衝撃だった。ルートヴィヒの「原光」・・・。

マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
イレアナ・コトルバス(ソプラノ)
クリスタ・ルートヴィヒ(コントラルト)
ズービン・メータ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

1894年3月29日、ハンス・フォン・ビューローの葬儀がハンブルクで行われ、そこでクロプシュトックの詩による「復活」のコラールを耳にしたのがおそらく最初。そして、同年12月18日には第2交響曲全曲が完成され、翌95年12月13日に初演、成功を収める。ビューローの葬儀がきっかけとは・・・。かねてより第2交響曲を作曲中だったマーラーは終楽章に合唱を導入しようとしていたものの、単なるベートーヴェンの模倣ととられることを恐れて長い間躊躇していた。そんな作曲者に勇気というか光明を与えてくれたのが「汝、よみがえらん」というコラールだったのである。ビューローとマーラー、ビューローとワーグナー・・・、ここでもワーグナーとマーラーの目に見えないつながりがみてとれる。相対する二つの概念というのはあくまで人間が作り出した「幻想」であり、実はすべてが裏表でつながっているのだということをあらためて確認する。今の政治の世界でも足の引っ張り合いが続くが、真にナンセンス。この際すべての党が一致団結し、日本の復興のために立ち向かべきだろう。「復活」の狼煙を今まさにあげねば・・・。

「確かにまだ敵対者がおり、誤解、蔑視、嘲笑もあった。しかし、作品の巨大さと独創性の印象、マーラーという人物の強烈な印象はまことに深いものであったので、この日をもって彼の作曲家としての躍進が始まったとして良い」~ブルーノ・ワルターの回想

マーラー没後100年の今年、演奏会でも随分採り上げられるだろう。久しぶりにマーラーの交響曲を、どれでもいいから生で聴きたくなった。


5 COMMENTS

雅之

おはようございます。

>ビューローの葬儀がきっかけとは・・・。
>相対する二つの概念というのはあくまで人間が作り出した「幻想」であり、実はすべてが裏表でつながっているのだということをあらためて確認する。

同感です。ガムランの世界観を思い出しました。

さらに、「裏表でつながっている」といえば・・・。

交響曲第2番 (マーラー) ウィキペディアより
『葬礼』について
なぜマーラーが第1楽章に「葬礼」という標題をつけたかについては、いくつかの説がある。ひとつには、マーラー自身が書いた解説のなかで、先立つ交響曲第1番の英雄の葬礼であると述べているものである。これに関して、上演失敗に終わった『巨人』を葬り去る意思の表れという解釈もある。また、1889年2月に父ベルンハルト、9月に妹レオポルディーネ、10月に母マリーと3人の肉親が死去しており、マーラーは自分自身の死を考えずにはおれなかったという指摘もある。ただし、この楽章が作曲されたのは1888年で肉親の死より早く、「葬礼」の標題を与えたのはおそらく1891年であり、「交響詩」に『巨人』の標題が付けられた1894年より早い。したがって、これらは後付けの説明ということもできる。

このほか、ポーランドの国民的詩人アダム・ミツキェヴィチの劇詩をジークフリート・リピナーが1887年に翻訳出版した『葬礼』に影響を受けたという指摘がある。リピナーが翻訳したミツキェヴィチの詩編は原題を“Dziady”といい、1823年に出版された。“Dziady”は「父祖たち」を意味し、『父祖の祭り』と訳される。これはリトアニアやプロイセン地方に伝わる、起源をキリスト教以前にさかのぼる、先祖を祝う祭りを題材としたものである。

リピナーはドイツ語への翻訳に当たり、この標題に“Todtenfeier”(現代ドイツ語では“Totenfeier”)すなわち『葬礼』という言葉を当てた。リピナーはマーラーの親友で、マーラーは18歳のころからリピナーに感化を受けてニーチェの思想を知ったといわれる。マーラーは続く交響曲第3番で、ニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』の詩を歌詞として用いている。ニーチェの「永劫回帰」とは異なるが通じるところもある、生と死の輪廻の思想を『葬礼』に感じ取ったことが、作曲のきっかけだったというものである。マーラーが終楽章でクロプシュトックの歌詞に追加した自作の「再び生きるために死ぬのだ」という言葉は、このことを裏付けていると考えられる。

初演
1895年3月4日、声楽の入らない第1楽章から第3楽章までをベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演。演奏会全体の指揮者はリヒャルト・シュトラウスであるが、この曲については「作曲者指揮による」との断り書きがあり、マーラーが指揮したものと見られる。その夏にはマーラーはシュタインバッハにおいて交響曲第3番の作曲に取りかかった。 ・・・・・・

ニーチェ 「ツァラトゥストラはこう語った」(ツァラトゥストラはかく語りき) ・・・・・・ウィキペディア より
概要
1844年に生まれたニーチェはボン大学で学んだ後にライプツィヒ大学で文献学者リッチェルの下で指導を受けた。ニーチェはここで古代の古典的文献を復元、読解する古典文献学の専門家として大成し、20代の若さであったにもかかわらず文献学の教授となった。しかし健康上の理由から辞職し、療養生活に入ることになった。本書を含めニーチェの哲学の著作の多くが執筆されたのはこの時期である。本書は第1部から第4部で構成されており、長期間にわたる執筆によって完成された。1883年に第1部と第2部、そして1884年に第3部、1885年に第4部(私家版)が執筆された。この執筆活動は第4部を除いてそれぞれの部が10日間程度で書き上げられ、1886年には第1部から第3部の新版が発表され、1891年に4部作として刊行された。

本書は後期ニーチェの重要な哲学的研究のひとつであり、19世紀末期におけるヨーロッパの没落を背景としながら、キリスト教的な理想に代わる超人(Übermensch)の思想が展開されている。その基本的な内容はツァラトゥストラを主人公とする物語と言える。山に篭もっていたツァラトゥストラは神が死んだことを知り、絶対者がいなくなった世界で超人を人々に教えようとする。それは不成功に終わったためにツァラトゥストラは自分の思想を理解する人を探し始めるが、結局は弟子を棄ててしまう。そしてツァラトゥストラは孤独な思索のうちに人々に対して自らの思想を語ることを控えることを決めた。こうしてツァラトゥストラは山に帰郷することになる。山の中でツァラトゥストラは何人かの特別に高等な人々と会い、彼らとの交流の中で歓喜する。最後にはツァラトゥストラが再び山を降りることで物語は締めくくられている。この一連の物語においてニーチェは神の死、超人、そして永劫回帰の思想を散文的な文体で論じている。・・・・・・

「ツァラトゥストラはこう語った」 (リヒャルト・シュトラウス 交響詩)・・・・・・・ウィキペディア より
『ツァラトゥストラはこう語った』(Also sprach Zarathustra)作品30は、リヒャルト・シュトラウスが1896年に作曲した交響詩。『ツァラトゥストラはかく語りき』とも訳される。
初演
1896年11月27日、フランクフルトで、作曲者指揮の第4回ムゼウム協会コンサートにて初演された。・・・・・・

ということで、今朝は『復活』と『ツァラトゥストラはこう語った』、マーラーとリヒャルト・シュトラウスも地続きということが言いたかったコメントでした(交響曲第10番とサロメもある・・・笑)。

※これも聴いてちょうだい!!
リヒャルト・シュトラウス:『ツァラトゥストラはかく語りき』 メータ&ロサンゼルス・フィル
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2816453

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雅之

※ 昨日のコメント、やはり何回送信しても受け付けてくれません。

お手数ですが、試しに、昨夜メールでお送りした文面を、
昨日のコメント欄にコピペしてみてください。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
すべてが地続き。当たり前といえば当たり前ですよね。
そう考えると、人間は相互に作用しながら、それぞれ独立して進化進歩していくということですね。
やっぱり、人は人でしか磨けないものだということを痛感します。

ところで、ドビュッシー然り、ニーチェもある時期から反ワーグナー派に回りますよね。ドビュッシーはともかく、いかにワーグナーが人間的には最低の野郎だったかということが推測できますが、やっぱりこれも表裏、陰陽ということなんでしょうね。「嫌い嫌いも好きのうち」といいます。愛がある分憎悪も深い。

ユダヤ問題にもリンクしてくるように思います。
それにしても、いよいよ第3番につながりますか!(笑)
今日は1日外なので、第3番聴けるかなぁ・・・(苦笑)

ちなみに、昨日のコメント、僕の方でコピペ投稿させていただきました。
しかし、どうして投稿できなかったんでしょうね??

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