アルゲリッチ&ガーニングのプーランク2台協奏曲(2007.6.9Live)ほかを聴いて思ふ

第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポの類を見ない躍動感。
第2楽章ラルゲットの幻想味。そして、終楽章アレグロ・モルトの雑談的対話の愉悦。分かち合いこそが生命の炎を絶やさない術なのだと思う。音楽は極めて自然体。ストラヴィンスキーの語法を拝借しているというが、実際は確実に消化されたフランシス・プーランク独自のもの。
ちなみに、プーランクはガブリエル・フォーレが大嫌いなのだという。

ミヨー曰く、6人組はそれぞれみんなが自由で「デュレはラヴェルが好き、オネゲルはシュミット、僕はマニャール、タイユフェールはみんなを好き、プーランクはルーセル、オーリックは誰も好きではない」。
(横島浩「ピアノ・デュオの宝庫—フランス系の作曲家たち」)
~「音楽現代」2004年9月号P94

マルタ・アルゲリッチはなぜソロ・リサイタルを止めたのか?
ピアノ演奏は孤独な作業だから。少なくとも聴衆とは対等ではなく、完全孤立の状態で一晩を難なく過ごすのは性に合っていないと気づいたからなのかもしれない。その意味では、コンサート・ドロップアウトをしたグレン・グールドと同系。なるほど、外面は異なれど、彼ら二人の音楽に内在する共通点は、孤高でありながら、聴衆に媚びずとも僕たち聴く者とつながることのできる慈愛の心であるように僕は思う。

ルガーノ・コンチェルト1
・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番ハ長調作品15
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
アレクサンドル・ラビノヴィチ指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団(2005.6.29Live)
・プーランク:2台のピアノのための協奏曲ニ短調FP61
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
アレクサンドル・ガーニング(ピアノ)
エラスモ・キャピラ指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団(2007.6.9Live)
・モーツァルト:3台のピアノのための協奏曲ヘ長調K.242
パウル・グルダ(ピアノ)
リコ・グルダ(ピアノ)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
アレクサンドル・ラビノヴィチ指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団(2006.6.29Live)

20歳のモーツァルトの3台は、いかにもモーツァルトらしく、悲哀をどこかに感じさせつつも大いに飛翔する明朗な音調。おそらく彼らは、マルタの師であり、パウルとリコの父であるフリードリヒ・グルダのことを思うのか。
音楽は、第1楽章アレグロ冒頭からザルツブルクでの鬱積を晴らすかのような弾けっぷり。3人の独奏者も小気味良く跳ねる。続く第2楽章アダージョの可憐で透明な美しさは、やっぱり神への祈り。そして終楽章ロンドは、サービス満点の、天にも昇る高貴な作品で、3人のピアノが一層ひとつになる瞬間多々。特に、短いカデンツァ風の箇所で見せるピアノの対話が素晴らしい。

極めつけはアルゲリッチ独奏の十八番、ベートーヴェンの第1番。
じっくりと歩を進める第1楽章の濃厚さ、煌くピアノがまた愁いに満ち、懐かしい。第2楽章ラルゴの、静寂の音。自然と一体となったベートーヴェンの内なる声が、アルゲリッチを媒介にして数百年を経て再現されるよう。ここにあるのは神であり、愛であり、真実だ。さらに、相変わらず指の回る終楽章ロンドの猛烈な前進性、勢いはいかばかりか(それでも決して造形は崩れない)。

ホップ、ステップ、ジャンプ、あるいはワン、トゥー、フィニッシュ。
各々3つの楽章で起こる奇蹟、同時に、1台、2台、3台と、重量感を増す音楽作品の内側にある力。たぶん、たぶんアルゲリッチは音楽を通じて他人とひとつになりたかったのだろうと思う。

 

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