ブゾーニの「シャコンヌ」

ニューヨーク・フィルハーモニックが北朝鮮の平壌で初の公演を行った。マスコミのとりあげ方を見ると、「米朝の和解の第一歩」であるようなニュアンスの記事が多い。今回の公演は北朝鮮側からの要望だったらしいが、プログラムもドヴォルザークの「新世界」交響曲やガーシュインの「パリのアメリカ人」などアメリカ色の強いもので、結果的に金総書記の欠席や当日当夜の北朝鮮のマスコミの反応などから推測してみても、どうも政治的パフォーマンスのひとつに過ぎないのではないか、と僕などは考えてしまう。裏事情があれど知る由もないゆえこれ以上語りようもないが・・・。

昨日に引き続き学生諸君の「エントリーシート講座」を開く。彼らは2回目。2月も下旬に入って就職戦線も活発化しているようで、学生の動きも慌しくなってきている。「売り手市場」といわれる昨今、厳しいのはどちらかというと採用側であると思われているようだが、学生側も一部の優秀なサラブレッドは別にして、やはり相応の準備をしない限り第一志望企業の「内定」をゲットするのは難しい。とはいえ、みんなで協力しながら議論し、支えあって活動する「就活」は楽しいもので、夢を持って社会に挑戦するという気持ちで前向きに戦って欲しいものである。

今日も「シャコンヌ」。ただし、バッハの原曲ではなく、ブラームス編の左手ピアノ版でもなく、フェルッチョ・ブゾーニがアレンジしたピアノ超絶技巧バージョン。とにかくこの「シャコンヌ」に関してはいろいろな版で聴いてみたい。15分ほどの楽曲に宇宙の全てが内包されている。それくらいに一部の隙もない完璧な音楽なのである。

J.S.バッハ(ブゾーニ編曲):シャコンヌ、B24
ヴォルフ・ハーデン(ピアノ)

「シャコンヌ」の編曲は1890年代にアメリカで手がけられているようだ。そもそもブゾーニは生来の「教育者」である。ピアニストでもあり、作曲家でもあるのだが、ブゾーニのお陰で世界基準になった音楽家は少なくない。20世紀も後半になって一躍脚光を浴びることになる彼だが、教育者としての側面がクローズアップされているのだろう。

人にモノを教えることが上手な人は「できる」人である。
学生などでも「的を得た」指摘ができる輩は「できる」人だ。「できる」人は引く手数多。
バッハ然り、ブゾーニ然り・・・。

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