フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルのシュトラウス「死と変容」(1950.1録音)ほかを聴いて思ふ

リヒャルト・シュトラウスの、音で情景を、あるいは抒情を描写する力は随一。

最近、リヒャルト・シュトラウスさんが私にこんな意見を洩らされました。つまり、ドイツの偉大であった時期はドイツ音楽の偉大であった時期に正確に照応する、なぜなら、それこそドイツのそもそもの歴史的使命であったのだからというのです。ワーグナー以後リヒャルト・シュトラウスからそれが始まったのだが、偉大なドイツ音楽が終焉に向かって以来、ドイツの没落もまた始まったとも言われました。なるほど、そういう言い方にもなにほどかの真実はあるのでしょう。もっとも、ドイツが生きてきたのはその音楽のおかげではなく、この音楽もまた全ドイツをうるおした同じ生命の泉から流れ出たものではあったのです。
(1946年7月15日付、クラランのラ・プレリー病院よりヴァルター・リーツラー宛)
フランク・ティース編/仙北谷晃一訳「フルトヴェングラーの手紙」(白水社)P161

フルトヴェングラーは生来客観的だ。
彼の生み出す、あの激烈な、あまりに主観的と思われる音楽には、一方で、持って生まれた全体観、冷静さが宿るがゆえに感動的なのであり、また時代を超えて普遍的なのだろう。確かに偉大なるドイツ音楽の帰着するところ、統合点は、リヒャルト・ワーグナーであり、その精神を引き継いだリヒャルト・シュトラウスにあったのかもしれない。
ただし、それにしてもシュトラウスは自信過剰だ。

かつて、ワーグナーは晩年の「希望はもてるのか」という小論中で、「パルジファル」こそが、ドイツの没落を防ぐ、「ドイツ精神」の要であると説いた。

私は「パルジファル」の音楽をここ数日の間に完成したが、それによって私自身まだ希望を捨てていないことを証明したわけである。この作品の構想はやんごとない庇護者の身に余るような愛顧を受けて生まれたのであるが、私がまだ失っていないドイツ精神に寄せる信頼感が、今回この作品を仕上げるにあたって私の心に熱気を吹き込んでくれたのである。しかし私の感じでは、作品の完成と上演の間には解決しなくてはならない難問が山積みになっている。それを克服しなければならない。ともかく私とともに希望を抱く向きは、私の考える意味でのみ希望を持って欲しい。上辺の見せかけに満足しない人こそ、その希望において私と一心同体であると言ってよい。
「希望はもてるのか」(1879)(宇野道義訳)
三光長治監修「ワーグナー著作集5 宗教と芸術」(第三文明社)P146-147

僕には、ワーグナーその人の思想は、あながち妄想には思えない。
特に晩年のものは一つ一つの論を丁寧に手繰っていくにつけ、論理の破綻は一切認められず、その巨大な楽劇同様異様な説得力をもって僕たちの前に突き付けられるのである。

ところで、フルトヴェングラーは、晩年、スカラ座で「パルジファル」の公演を行ったが、残念ながらその録音は(消去され!)残されていない。
フルトヴェングラーのワーグナーにある、他のどんな指揮者も真似のできなかった表現の毒は、まさに「ドイツ精神」の顕現だろう。果たして彼の「パルジファル」はどんなだったのだろう?その熱波を想像するだけでも魂が震えるくらい。

しかしながら、フルトヴェングラーには、その嘆きを掃いて捨てるに等しい、リヒャルト・シュトラウスの(オペラの全曲録音を残さなかったことが痛恨事とはいえ)名演奏、名録音がある。

R.シュトラウス:
・交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」作品28(1954.3.3録音)
・交響詩「ドン・ファン」作品20(1954.3.2&3録音)
・交響詩「死と変容」作品24(1950.1.21, 23&24録音)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

「死と変容」におけるコーダの、世界の救済と浄化を表現した音楽の幸福感は、本当に素晴らしい。シュトラウスの音楽そのものに秘められた(死への)憧憬と、フルトヴェングラーの解釈における悪魔的慟哭と確信的安寧の掛け算。
また、「ドン・ファン」冒頭の激しい主題のうねりとティンパニの生々しい響きは、そこだけ切り取ってもフルトヴェングラーの真骨頂であり、聴いていて胸躍る。全編通しての色香が半端ない。
そして、「ティル・オイレンシュピーゲル」は、冒頭「昔々」から、ユーモラスでありながらシリアスさを兼ね備えた、フルトヴェングラーの十八番。物語の進行に応じてテンポは伸縮し、その揺れがまた見事にはまるのだから、フルトヴェングラーの読みはすごい。

けさの手紙で君にもう知らせたように、ここアムステルダムでの演奏会は素晴らしくうまくいって、私は大成功を収めることができました。オーケストラは実に見事です。若々しくて、熱心で、前もってちゃんと練習しておいてくれるので、指揮をするのがまさに楽しい。そういうオーケストラなのです。《死と変容》は素晴らしい演奏になりました。
(1897年10月8日付、妻パウリーネ宛)
日本リヒャルト・シュトラウス協会編「リヒャルト・シュトラウスの『実像』」(音楽之友社)P156

若きシュトラウスの喜びと勢い!!

 

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