ワルター指揮ウィーン・フィルのブラームス第3番(1936.5録音)ほかを聴いて思ふ

堂々たる重低音、そして、中音の良く響く典雅な音楽。
どの瞬間も涙が出るほど温かい。
まさに人間性の反映。同時に、時代の雰囲気の刻印か厳しさもそこにはある。
世界はとても大らかだった。

取り急ぎ要件のみ、親愛なるお手紙をありがとう、今月のうちにもたぶん4月の20日と30日の間に、チューリヒへ出向いて、その節この件を親しく相談できる旨、お知らせするだけにとどめます。まだロッテは出ていないし(このためにぼくらはいっさいを尽くしています)、まだぼくのウィーンの住まいには、測り知れずかけがえのない物があるし、ぼくが払わねばならぬ税金のことで、まだむこうでは思案されています、—だから、なおしばらくの間、ぼくは「死んだふりをし」なければなりません。
(1938年4月2日付、モンテ・カルロよりクラウス・マン宛)
ロッテ・ワルター・リント編/土田修代訳「ブルーノ・ワルターの手紙」(白水社)P237

前月、ナチスがオーストリアに進駐、併合。アムステルダムで客演中だったワルターは帰国できず、そのまま国立歌劇場との契約を解除することになる。娘のロッテは逮捕され、留置場に拘留されている最中だった。その頃の、心中穏やかでない手紙は、真に迫る。

モーツァルトの「皇帝ティトゥスの慈悲」序曲は、直前1938年1月15日の録音。
80年も前のものとは思えぬ生々しさ(特に、オーパス蔵の復刻盤の恐るべき情報量に舌を巻く)。最晩年のモーツァルトの、決して成功作とは言えない歌劇(の序曲)が、これほどまでの生命力を保持し、香気を放っていたのだと僕は初めて知った。衝撃だった。
同日収録の「偽の女庭師」序曲についても然り。何と自然な愉悦か(文字通り音楽には楽観しかないようだ)。

・モーツァルト:歌劇「皇帝ティトゥスの慈悲」序曲K.621(1938.1.15録音)
・モーツァルト:歌劇「偽の女庭師(恋の花つくり)」序曲K.196(1938.1.15録音)
ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
・ハイドン:交響曲第86番ニ長調Hob.I:86(1938.9.13録音)
ブルーノ・ワルター指揮ロンドン交響楽団
・ブラームス:交響曲第3番ヘ長調作品90(1936.5.18&19録音)
ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ハイドンの第86番は、速めのテンポで颯爽と進められるが、第2楽章カプリッチョでの沈思黙考の音楽は、その頃の世界の状況に心を痛めたその心境が見事に映し出されるようだ。ワルターは何て素直な人なのだろう。

チェコ人の運命を知ると、ぼくらの心は真の悲哀と耐えがたい苦痛でいっぱいです。この勇敢で平和な国民の犠牲、悪魔の前進に抗する防壁の崩壊は、われわれにたいする彼の挑戦開始以来、われわれすべての最大の敗北です。今は朝の6時半ですが、昨夜には民主主義諸国の新たな抵抗再開の報がもたらされました。それが変わらず続くように—なにもかも来てほしい、ただジンギス汗の完勝だけはごめんです。
(1938年9月24日付、ルガーノ=ソレンゴよりフランツ&アルマ・ヴェルフェル夫妻宛)
~同上書P242

防壁とは、当時チェコ領だったズデーテン地方のことを指すが、ついにこの5日後、ヒトラーは割譲を認めさせたのである。ただし、音楽にはそれほどの緊迫は伝わってこない。第3楽章メヌエットも実に優しい響き。強いて言うなら、終楽章アレグロ・コン・スピーリトの快速に怒りの心情が認められるだろうか。

そして、屈指の名演奏は、ブラームスのヘ長調交響曲。
もう何十回、何百回耳にしていることだろうか、(使い古された言い方だが)古い録音から薫る色香とふくよかな音に心の底から幸せを感じるのである(ここでもオーパス蔵の復刻は信じられない豊かな音を発する)。
第2楽章アンダンテの懐かしさ!あっさりと、あまり粘らず、どちらかというと淡々と進められる第3楽章ポコ・アレグレットにも「歌」があり、心に沁みる。また、終楽章アレグロ―ウン・ポコ・ソステヌートの仄暗い情熱が、テンポの揺れにまとわりつくように動く様に、ワルターの、秘めた内なる浪漫を思う。

 

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