モーツァルトの短い生涯は、ビートルズの短い活動期間と相似形。
彼らの作品はいずれも人を楽しませ、また恍惚とさせる。
モーツァルトもビートルズも、生命と引き換えに創造の力を全力で音楽に投じたのだろうか。
抑圧からの解放に始まる深化。モーツァルトの創作活動は、1787年の父レオポルトの死以降、一層の進化、深化を遂げた。一方、ビートルズも1967年、マネージャーであったブライアン・エプスタインの死によりメンバー間の対立が顕在化、マネージャー不在の中で作風は一気にポピュラー音楽の範疇を超え、それまでのロック音楽史にはなかった芸術性を獲得、楽曲は一層の進化、深化を遂げることになった。
彼を古典的作曲家にし、絶対的に不滅にするものは彼のたった一つの作品なのである。この作品が《ドン・ファン》だ。そのほかの彼の作品は人を楽しませたり恍惚とさせたりもしようし、心を喜ばせもしよう。しかし、いっさいの作品をごちゃまぜにして、いっさいの作品を同一視にすることによっては、モーツァルトとその不滅性のためにはなんの効果もあげえないのである。《ドン・ファン》はモーツァルトの資格証明作品なのである。
(セーレン・キルケゴール)海老沢敏編・訳「モーツァルト論抄」
~「モーツァルト事典」(冬樹社)P177
キルケゴールをしてそう言わしめた歌劇「ドン・ジョヴァンニ」は、モーツァルト屈指の、否、音楽史上一、二を争う不滅の心理ドラマである。1787年4月から夏にかけて、モーツァルトは他の諸作と同時並行で「ドン・ジョヴァンニ」を書き上げた。初演は、同年10月29日、プラハ劇場にて。父の死後、後期の方法を獲得、ここでついに彼は、更なる高みへと至る。
オットー・クレンペラーの「ドン・ジョヴァンニ」はあまりに重厚で、またあまりに浪漫的だ。序曲冒頭の和音では、心の揺れ動きを表すかのように弦楽器群の間をとり(シンコペーションのような効果)、聴く者の恐怖感を煽り、絶妙な効果をあげ、物語の先にある種の期待を持たせる。世間では絶対的に高い評価を得ていないようだが、この序曲冒頭の解釈だけでも大いに価値あるセットだと僕は思う。
・モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527
ニコライ・ギャウロフ(ドン・ジョヴァンニ、バス)
フランツ・クラス(騎士長、バス)
クレア・ワトソン(ドンナ・アンナ、ソプラノ)
ニコライ・ゲッダ(ドン・オッターヴィオ、テノール)
クリスタ・ルートヴィヒ(ドンナ・エルヴィーラ、メゾ・ソプラノ)
ヴァルター・ベリー(レポレロ、バリトン)
ミレッラ・フレーニ(ツェルリーナ、ソプラノ)
パオロ・モンタルソロ(マゼット、バス)
ヘンリー・スミス(チェンバロ)
オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団&合唱団(1966.6-7録音)
クレンペラーの「ドン・ジョヴァンニ」録音と同時期、ビートルズの最初で最後の日本公演が行なわれ、離日直後のフィリピンで彼らは事件を起こす。4人の精神状態は最悪で、心身の消耗しきったビートルズは、結局2ヶ月ほど後、ついにコンサート活動の休止を宣言することになる。
もはや聴衆に「喜び」を与えることは不可能だとバンドは判断したのであろう。
一行が目をさます前の午前9時ごろ厳重な警備網をどうやって突破したのか3人の金髪娘が突然ホテルの屋上に姿を現した。彼女たちは一目でもビートルズを見ようと、屋上の鉄サクをのりこえるや、その中の一人が仲間に両足を押えさせて、十階のビートルズの部屋をのぞきこもうとした。
この決死的大冒険は、すぐに警備員に見つけられ、かけつけたガードマンにひきあげられたが、一時はどうなるものかと大騒ぎ。さすがのビートルズも、夢を破られてねむい目をこすりながら、窓から顔を出してびっくりしていた。
(1967年7月2日付報知新聞)
~ミュージック・ライフ編「ビートルズの軌跡」(シンコー・ミュージック)P149
来日時の異常な光景が具に報告されるが、今となっては平和と言えば平和。彼らはアイドルだったのだ。
・The Beatles:1962-1966 (Remaster)(2009)
Personnel
John Lennon
Paul McCartney
George Harrison
Ringo Starr
いわゆる「赤盤」は、ビートルズがいまだコンサート活動を続けていた初期から中期にかけてのヒット曲が網羅され、いずれの楽曲も直接的な音圧が魂にまで届き、前半期ビートルズの魅力を余すところなく伝えてくれる。当然のこと、彼らは単なるアイドルではない。時代の象徴であり、また音楽史を代表する永遠不滅の音楽家であったことが証明される。
再び、クレンペラーの「ドン・ジョヴァンニ」。
第1幕第7番二重唱「あそこで手に手を取り合い」でのツェルリーナに扮するフレーニの愛らしさ、そして、ドン・ジョヴァンニを歌うギャウロフの色気。この有名な二重唱もゆったりとしたテンポで奏されるが、堂々たる響きがドン・ジョヴァンニの勇敢さというか見境のなさを一層浮き立たせるのだから面白い。
また、第2幕、ドン・ジョヴァンニの地獄落ちのシーンでのオーケストラの音色は幾分明るすぎるきらいがあるが、騎士長フランツ・クラスが名唱を聴かせてくれる。最終場の六重唱(ドンナ・エルヴィーラ、ドンナ・アンナ、ツェルリーナ、ドン・オッターヴィオ、マゼット、レポレロ)の、悪の去った喜びの一斉砲火の如くの大団円は聴きどころ。何という巨大な愉快!
「フィガロの結婚」K.492から「ドン・ジョヴァンニ」K.527に至る道が滅法面白い。
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