東京クヮルテットのベートーヴェン作品127&作品131(2008.5録音)を聴いて思ふ

beethoven_tokyo_string_quartet030今はもうない東京クヮルテットの最後のツアーにおけるベートーヴェンは本当に素晴らしかった。楽聖晩年の純白の音世界が一切無駄なく、完璧なアンサンブルで表現されたあの夜。温かかった。
あれからすでに3年近くが経過する。
時間は命であり、命は時間だ。
消えては現れ、現れては消えゆく(時間の芸術である)音楽の儚さは、人生の儚さと等しい。
しかし、その儚さゆえに音楽は美しい。
燃え盛れ、炎を天上まで上げて・・・。そして、静かに消えよ。
最晩年のベートーヴェンの音楽には人間離れした情熱と、神の如くの真空の静けさがある。こんなものを享受せずして人生を終えることなど考えられぬ。

嗚呼、あまりに完璧・・・。
変ホ長調四重奏曲作品127の第1楽章マエストーソ冒頭から筆舌に尽くし難い響き。心に染みわたる優しさは、聴覚を失いつつあったベートーヴェンの安らぎを示すのかどうなのか。また、身体を離れ、現実世界を外側から俯瞰するように幻想的で癒しに溢れる第2楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポ・エ・モルト・カンタービレの主題の涙を誘う美しさ。
そして、自らを鼓舞するかのように踊る第3楽章スケルツァンド・ヴィヴァーチェの透明感。あるいは終楽章の、ベートーヴェンらしい生命力に溢れる力強さ。

ベートーヴェン:
・弦楽四重奏曲第12番変ホ長調作品127(1824)
・弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131(1826)
東京クヮルテット
マーティン・ビーヴァー(ヴァイオリン)
池田菊衛(ヴァイオリン)
磯村和英(ヴィオラ)
クライヴ・グリーンスミス(チェロ)(2008.5録音)

嬰ハ短調四重奏曲作品131は、まさにあの夜を髣髴とさせる奇蹟の音楽。
まるで根っ子を地下深く張ろうと地を這うように蠢く第1楽章アダージョ,マ・ノン・トロッポ・エ・モルト・エスプレッシーヴォの意思。そして、突如として明朗で快活な音楽が芽吹く第2楽章アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェの明快な衝撃。あるいは、第3楽章アレグロ・モデラートの大いなる転換!また、第4楽章アンダンテ,マ・ノン・トロッポ・エ・モルト・カンタービレにおける各楽器の絶妙な対話に優れた喜び。素晴らしい時間が流れる。
拡大の境地である第5楽章プレストを経て、短い第6楽章アダージョ・クアジ・ウン・ポコ・アンダンテにおいて音楽は見事に純化、結晶となる。
続く終楽章アレグロは、唯一のソナタ楽章であり、それこそベートーヴェン晩年の理。

滔々と涌き出ずる泉のような旋律の宝庫にベートーヴェンの天才を思い、何よりその音楽を自然体で紡ぎ出す東京クヮルテットの技術と感性に心動かされる。

「たとえ一行なりといえども書かずして暮るる日は一日も無し」というのは僕にあてはまる金言だそうだが、僕はこの頃、芸術の女神を眠らせている。ただしこれは彼女が、それだけいっそうつよく眼をさますためだ。さらに2,3の大きい作品を世に送り出して、その後で一人の老いた子供のように、どこかの善良な人々の許へ行って、僕は自分の生涯の幕を閉じたいと心に期している。
(1826年10月7日付、ヴェーゲラー宛手紙)
ロマン・ロラン著/片山敏彦訳「ベートーヴェンの生涯」(岩波文庫)P128

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


音楽(全般) ブログランキングへ


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む