グールドのベートーヴェン ソナタ第13番(1981.8録音)ほかを聴いて思ふ

薄暗い雲が立ちこめて、時折霧雨が降る。
一気に気温が下がり、晩秋。大自然の営みの神秘を思う。

まさかこれが最後のベートーヴェンになろうとは、本人は思いもよらなかっただろう、音楽は隅から隅まで軽快で、グールドらしい喜びに溢れている。

人生は終わりがわからないから未来に対して不安を抱くのだけれど、終わりがわからないからまた希望があり、夢を追えるのである。楽しい哉。都度無茶ができ、また、いつもユニークでいられるのもそれゆえだ。ある意味襟を正す必要などない。

どうしようもない意志を僕は感じる。
音楽家グレン・グールドの強靭な意志を。
彼はたぶん宇宙人だった。あれほどまでに大衆を嫌い、殻に閉じこもろうとした反面、彼が創造した音楽によって、人類がひとつにつながるのだから奇妙だ。

徐に、囁きかけるように紡がれる変イ長調ソナタ第1楽章アンダンテ・コン・ヴァリアツィオーニが悲しく、殊更に美しい。

「2032年のグレン・グールド」と題する、坂本龍一×浅田彰対談。

浅田 これは余談だけど、93年にイーヴォ・ポゴレリッチが大阪のザ・シンフォニー・ホールで弾いたことがあって、前半のモーツァルトを聴いてて、珍しくちょっと調律が甘いんじゃないかなと思ってたら、後半のリストのソナタに入ってすぐに高音の弦が一本切れちゃった。でもあいつ、頑固だからやめないわけよ。その音がいつ鳴るか分かってるから、その箇所に近づくたびに聴衆が凍りつくわけ(笑)。結果的に、それはすごいリサイタルだった。
坂本 相当スリリングな(笑)。
浅田 一週間くらいして、たまたま彼と新幹線でバッタリ会って、「あれは滅多にないことじゃないの?」と聞いたら、「あんなの大したことじゃないよ」とか言って、でも、背が高いものだから、降りしなにもう戸口の上のところで頭を打ってる始末で(笑)、案外ひょうきんなやつなのかもしれない。彼なんかも、ある意味ではグールドをすごく意識してて、それと違うことをしようというか、いわばグールド的なことをポリーニ的なダイナミクスでやろうとしてるから、無理を生じてはいるけれど、面白いんだよね。
坂本 うーん、それは素晴らしい方向ではあるんだけどね。つまり、グールドのような天才じゃないとすれば、ポリーニのように弾くしかないわけだし(笑)。
「KAWADE夢ムック グレン・グールド」(河出書房新社)P207-208

25年前のポゴレリッチは確かにそうだったのかも。世界のどこにもグレン・グールドを真似できる人はいないだろう。彼は唯一無二。ただ、ポゴレリッチはグールドの方法を昇華し、独自の道を見つけたのだと思う。今は「ポリーニのような」弾き方とは一線を画し、あくまでポゴレリッチはポゴレリッチの弾き方(在り方)に到達しているのだ。

ベートーヴェン:
・ピアノ・ソナタ第12番変イ長調作品26「葬送」(1979.9.4&5録音)
・ピアノ・ソナタ第13番変ホ長調作品27-1(1981.8.2&3録音)
グレン・グールド(ピアノ)

相変わらずポツポツと途切れる、朴訥とした音色。左手は強調され、いかに重心が大事であるかをグールドは訴える。興味深いのは、ベートーヴェンの音楽がグールドの方法を完全に受容していること。楽聖の方法が普遍的であったことを証明する好い例だ。第3楽章葬送行進曲は、まるで本人が本人のために奏した曲であるかのように、特別な思いがこもるのが何とも不思議。

そして、「幻想曲風ソナタ」という異名を持つ変ホ長調ソナタの満ち足りた音楽は、当時のベートーヴェンの心身共の充実を示すものだが、沈思黙考するグールドの哲学的解釈が一層素敵。第3楽章アダージョ・コン・エスプレッシオーネはこんなにも虚ろで美しい音楽だったのか。文字通り「幻想」だ。

 

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