物語での親子関係はごく普通の、和やかなものに改変されているが、原作の「グリム童話」では、殺意を持った継母や魔女が登場し、それに対して兄妹が知恵を働かせ、また機転を利かせ無事生還する筋になっている。
「どうして森の外へでたらいいでしょ」と言いました。ヘンゼルは妹をなだめました。
「いいから、すこしお待ち。お月さまのでるまでね。お月さまがでりゃ、路は、ちゃんとわかるんだよ」
~金田鬼一訳「完訳グリム童話集1」(岩波文庫)P160
ヘンゼルの言う通り、まもなく満月が出て、目印となる小砂利が光に反射し、無事二人は帰路につくことが叶う。
「みちはきっと見つかるよ」と言いましたけれど、そのみちというのが見つからないのです。夜どおしあるきました。それからもう一日、朝から晩まであるきました。けれども、森から出られるどころではなく、それに、自然ばえのいちごのような実を3つ4つ食べたぎりなので、おなかもぺこぺこになりました。
~同上書P163
子どもとはいえ、固執こそが道を見失うきっかけになるようだ。
グリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」には、飢餓からいわば「獣化」する木こりや魔女が登場する。
エンゲルベルト・フンパーディンクが歌劇化した「ヘンゼルとグレーテル」。原作とは細部の異なる平和かつ幸福な調子のメルヘンは、ワーグナーの影響が色濃く反映される美しくも濃密な音楽に支配される。
・フンパーディンク:歌劇「ヘンゼルとグレーテル」(1891-92)
ブリギッテ・ファスベンダー(ヘンゼル、メゾソプラノ)
ルチア・ポップ(グレーテル、ソプラノ)
ヴァルター・ベリー(父ペーター、バリトン)
ユリア・ハマリ(母ゲルトルート、メゾソプラノ)
アニー・シュレム(魔女、アルト)
ノーマ・ビューロウズ(眠りの精、ソプラノ)
エディタ・グルベローヴァ(露の精、ソプラノ)
ウィーン少年合唱団
サー・ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1978.2, 3&6録音)
極上の響き。ショルティ指揮ウィーン・フィルの艶やかで官能的な音調に、ファスベンダー、ポップ、グルベローヴァなどこれ以上ないキャストを揃えた絶品。
「パルジファル」の初演に携わったフンパーディンクは、舞台神聖祭典劇の2台ピアノ編曲版(抜粋)を残しているが、このメルヘン歌劇を聴くにつけ、彼が晩年のワーグナーの思想(再生論)の影響をも見事に受けていただろうことが推測される。ちなみに、フンパーディンク版「パルジファル」をその視点で聴いてみると、透徹された聖なるピアノの響きの内に確固たる信仰の念を、それも宗教的でない信仰の念を感じることができるのである。
キリスト教の教会の堕落が音楽芸術の堕落をもたらした。
ならば、宗教と芸術の堕落をいかに救うのか?
リヒャルト・ワーグナーは最後に行き着いた人類永遠の主題の答を、「パルジファル」に認め、世に問うた。
1880年の論文「宗教と芸術」をひも解くと、おそらく一般にはなかなか受け入れ難いであろう(ワーグナー自身も広く賛同を得られないだろうと考えていた)、最晩年の「再生論」に基づく持論が展開されていることが興味深い。
人間を殺生や肉食による栄養摂取へと駆り立てたのが、もともと飢餓だけだったに相違ないということ、しかしこのやむにやまれぬ事態が、北方における肉食が自己保存のための義務として定められていたと信ずる人々が主張しているように、ただ単に寒冷な地方への移動によって生じたのでないということは、次のような明明白白の事実が示すところである。すなわち、十分に穀物を摂取できる大民族は、厳しい風土においてすらほとんど菜食だけで暮しており、それによって活力や耐久力を失うことはないのだが、このことは、菜食をしているきわだって長寿に恵まれたロシアの農民たちを見れば分かることである。菜食を主にしている日本人についても、きわめて鋭敏な頭脳を持ちながら最高度に勇猛果敢であることがよく知られている。
~三光長治監修「ワーグナー著作集5 宗教と芸術」(第三文明社)P236
少なくとも1880年当時の日本人はほぼ穀物菜食を遵守し、現代とは少々異なる、勇猛果敢な姿勢に優れていたことが示される。その上で彼はまた次のように論じるのである。
動物愛護の協会と菜食主義の協会が相互に交流して提携すれば、侮ることのできない一勢力を形作るものと思われる。二つの協会が節酒を標榜する協会を指導し、これまでに明らかになったこの協会の特殊目的を醇化する方向に導くならば、これまた重要な成果をもたらす可能性があるだろう。飲酒癖という疫病は、現代の戦争文明の奴隷と化した人びとの息の根を止めるほど猖獗をきわめているが、国家の側はさまざまな税収を通じて潤っているために、この財源を切り捨てる気はさらさらないのである。
~同上書P239
時代が少しばかり早過ぎたきらいがある。140年前の、この画期的な論文をまとめて訳者の山地良造氏は「あとがき」で次のように書く。
ワーグナーは宗教の堕落に先行して人類の退廃があると言う。・・・それでは人類を堕落から救うにはどのような道があるのか、これが最終章の主題となる。
最終章は人類史の考察で開始される。論点は「飢餓」と「菜食」および「肉食」の関係に置かれており、人間の獣性について論じられる。菜食、動物愛護、禁酒の各運動に、さらに社会主義運動を加えて四者の「強靭な精神的紐帯」による結合を実現し、「真の宗教を取り戻す」こと。人類の再生を促す土壌は、この「真の宗教」にあると、ワーグナーは考える。
~同上書P267-268
煽動家ワーグナーが誤ったのは、闘争を加えたことだろう。そのことがまた、ワーグナーを神と讃えるアドルフ・ヒトラーの思想に(余計な)火を付けてしまったのである。菜食主義者だったヒトラーも間違いなくワーグナーの「再生論」の影響を受けたひとりだ。残念ながら、彼が人類再生の手段として(同じく)武力を用いたことが最大の過ちだったのだけれど。
君は、ワーグナーが現代の文化的退廃の多くを肉食に還元しているのを知っているかね。・・・私自身が今日、肉食をしりぞけているのは、主として、ワーグナーがこの問題について語った発言にもとづいている。そしてその発言は絶対に正しいと私は考えている。現代の文化的退廃の多くは、下っ腹からきている。慢性便秘、肉汁中毒、暴飲である。肉類、アルコール、不潔喫煙の習慣を控えているのは、健康上の理由からではなく、心の奥底からの信念の問題なのである。
~ヘルマン・ラウシュニング著/船戸満之訳「ヒトラーとの対話」(学芸書林)
ヒトラーが大自然と一体であったことに僕は愕然とする(ならば、なぜ彼は狂気に走ったのか?!)。
・シューベルト:交響曲第8番ロ短調D759「未完成」(1995.1.22Live)
・ワーグナー:舞台神聖祭典劇「パルジファル」~第1幕前奏曲と聖金曜日の奇蹟(1993.9.10Live)
朝比奈隆指揮東京都交響楽団
東京文化会館での朝比奈御大の「パルジファル」は、重心の低い堂々たる音楽が鳴り、文句なしに素晴らしい。
何より崇高な響きの、祈りの旋律の「聖金曜日の奇蹟」の神々しさ、また情動的な音調。
それにしてもジャケットの朝比奈隆の、恍惚たる祈りの表情が堪らない。
御大には「パルジファル」全曲を振っていただきたかった。無念。
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[…] 要したのである。 悟りを得るまでの壮絶な生きざまが、人を感化する。 僕はここで、ワーグナーが晩年のいわゆる「再生論」で展開した菜食主義と真の宗教についての考察を思い出す。 […]
[…] ※過去記事(2018年10月11日)※過去記事(2018年4月7日) […]