ベラ・バルトークの新しさのうちに秘められる懐かしさは、祖国ハンガリーの古よりの民族的なるものの和にあるように思った。
ジュラ・オルトゥタイ教授の「ハンガリーの民話」という小論が興味深い。
わが国の民話の表現形式には魅力的な二重性がある―これはヨーロッパで唯一ということではないが。この固有の二重性とは、不思議な魔法を、常にリアルな描写で表現することである。細部にわたるリアルな描写にハンガリー語はまさに適切であったし、
ユーラシヤ各地で有名な民話、そのモチーフにはずっとハンガリーのどこかの風景、ハンガリー農民の生活が引き入れられ、主人公の性格もいくらかハンガリー的気質によって形づくられた。他の方法はありえない。リアルな描写はまさに口承文学的方法であり、他のユーラシヤの親縁のものとは別の独自のものである。
~オルトゥタイ著/徳永康元・石本礼子・岩崎悦子・粂栄美子編訳「ハンガリー民話集」(岩波文庫)P403
「不思議な魔法を、常にリアルな描写で表現する」二重性。
目にみえないものを可能な限り視覚化して伝える妙とでもいうのか。そしてそこには常に「愛国心」が刷り込まれたという事実。
時の右傾政府が、反政府勢力であったバルトークに歩み寄りを見せ、ブダ、ペスト、オーブダの合併50周年記念式典のために委嘱した作品こそ「舞踏組曲」であるが、この作品において作曲家は、様々な民族の併存という理想を実現しようとした。
この曲は、6つの舞曲的楽章から成り、そのうち一つの「リトルネッロ」は、その名のとおりライトモティーフのように何度か回帰する。どの楽章も、主題の素材は農民音楽のイミテーションである。作品全体の目的は、農民音楽の理想的状態を作りだすこと、それぞれの特定のタイプの音楽を表す各楽章を並べることで、各民族の農民音楽をひとつのものへとまとめることである。モデルとして用いられているのは、さまざまな民族の農民音楽だ。ハンガリー、ルーマニア、スロヴァキア、そしてアラブ、ときにはこれらの混合物まで見られる。
(1931年のバルトーク自身による草稿から)
~伊東信宏著「バルトーク―民謡を『発見』した辺境の作曲家」(中公新書)P109
なるほど、ベラ・バルトークが追求したものも「世界の調和と平和」だったよう。
しかし、この草稿は1981年まで公開されることはなかった。自らのイデオロギーをショスタコーヴィチと同じく、言葉ではなく音楽に巧みに隠し、しかもそのことを自身が亡くなるまではおろか、それ以降も何十年にわたって公開しなかったというそのスタンスに、そもそも新しさの内に在る懐かしさ、あるいは土俗性の内に在る都会的センスを垣間見る。そこにこそバルトークの音楽の特長があるのだと思った。
ここにもオルトゥタイ教授のいう「魅力的な二重性」が潜むのだろうか。
バルトーク:
・舞踏組曲Sz.77(1923年)(1992.12録音)
・管弦楽のための2つの映像Sz.46(作品10)(1910年)(1992.12録音)
・ハンガリーの風景Sz.97(1931年)(1993.12録音)
・弦楽のためのディヴェルティメント(1939年)Sz.113(1993.12録音)
ピエール・ブーレーズ指揮シカゴ交響楽団
ブーレーズの音楽には表も裏もない。バルトークの二重性など知ったことかと言わんばかりに、ソフィスティケートされた美しく官能的な音楽が全編を貫く。
また、「2つの映像」第1曲「花ざかり」の、神秘的でありながらエロティックでファジーな音調こそブーレーズの真骨頂。第2曲「村の踊り」には、後年の「管弦楽のための協奏曲」の木霊が聴こえるが、ブーレーズは音楽に溺れず、冷徹にバルトークの世界を描く。
そして、「ハンガリーの風景」に見る大自然の大らかさと人間の愉悦的戯れ。ブーレーズの華麗な棒さばきによって農民の踊りが見事に音化される。
とはいえ、最美は「ディヴェルティメント」。古典の形式に則った全盛期のバルトークの完璧な作品は、総じて作曲者のテンポ指定よりは遅いものの、実に理想的な歩み。その上、総奏と独奏の交替にある「不思議な魔法」が、ブーレーズによってまさに「リアルな描写」で表現されるよう。
ブーレーズのバルトークは素敵だ。
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