夜、久しぶりにDVDを観る。先日のGCDFの継続学習講座の中で大谷彰先生がカウンセリングの勉強になるので観ると良いと薦めていたロバート・レッドフォード初監督作品である。1980年の作品だから、かれこれ30年も前の映画。映像の撮り方や登場人物の格好など「古びた感」は否めないが、確かに勉強にはなる。とはいえ、すでに語り尽くされたテーマなので今となっては時代遅れ的な印象もなくはない。
長男をヨットの事故で亡くした家族3人の各々の内面を抉り出していく出色の作品だが、日常生活を題材にしているゆえドラマティックな展開はほとんどなく、時間もゆったりとしたテンポで進んでいくので多少のじれったさを感じてしまうのは仕方なかろう。それにしてもラストのあたりで、息子のコンラッドが心身症から回復しつつ自ら心を開き母親のベスにハグするというシーンで、ベスがまったく愛情を示せない-つまり抱擁を返せずに固まった状態でいる(彼女は幼少時に愛を与えてもらえなかったことを自覚している)のは現代の家族の問題をまさにフォーカスしているようで興味深い。結局、最後まで「愛」を与えることのできなかったこの母は夫の信頼を得ることもできずに家を去ることになる。
人は誰でも子どもの頃に親からしてもらっていないことを他人(それがたとえ自分の子どもであったとしても)にしてあげることは難しい。与えてもらえなかった人は与えることを知らないまま人生を歩んでいくのか・・・。
映画のタイトルが「Ordinary People」であることを考えると、当時からそういう家庭環境が「一般的」だったということであり、その事実が30年後の日本にもまさに起こっていることを考えると恐ろしい。問題の原因はやはり「人間」が作るものだから、我々一人一人が意識して自己改革していくことがとても重要なのである。そして、人間社会の中核である「家族」、「家庭」のあり方をもっと真剣に考えなければならないだろう。親は何でも学校や教師のせいにするのではなく、まず自らを顧みることが重要だ。誰もが人を受け入れ、そして気持ちを素直に表現ができる世の中になるともっと良いと思う。
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ
ジャン=ジャック・カントロフ(ヴァイオリン)
ジャック・ルヴィエ(ピアノ)
1920年代に5年の歳月をかけて書かれたラヴェル最後の室内楽曲。当時ヨーロッパでも流行していたジャズの語法をとりいれた作曲者ならではの粋で洒落た音楽だ。2つの大戦に挟まれ幸福な時代の産物といえる。
「ピアノとヴァイオリンという、本質的に相容れない楽器のためにソナタを書くことによって、私はその独立を強いられた。そしてふたつの楽器は、対比を通じてお互いの均衡をはかるどころか、まさにその相容れない面を、そこで強調している。」(ラヴェル「自伝素描」)
親子といえども他人。やはり相容れなくとも互いを包容するハーモニーを創り出さねば幸福はありえない。どちらが先に譲るのか・・・、そういう問題ではない。互いに許しあう、受け容れあう自律した関係を構築する努力が大切だ。何だかこのラヴェルの名曲を聴きながらそんなことを考えた。
ちなみに、この音盤には他にピアノ三重奏曲やヴァイオリンとチェロのためのソナタ、ツィガーヌなどが収められているが、いずれも名曲、名演だ。
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