深夜にハイドンを聴きながら自分を省みる

haydn_92_94_bernstein_vpo.jpg第42回早わかりクラシック音楽講座。ベートーヴェンの交響曲の聴き比べというテーマで、実は直前まで思い悩んだ。全9曲を本当ならばじっくりと聴いていただきたい。とはいえ、初心者の方に各曲を1度だけ聴いていただくとしても単純に5,6時間はかかってしまう。到底3時間では無理。しかも、1番から9番までそれぞれが個性的で、かつ芸術的な意味においても相当な難物ゆえ、そのバックグラウンドまで含めてベートーヴェン自身が表現したかったものをできるだけ教示しながらとなると1回の講座でせいぜい1曲を採り上げる方が現実的であることは明らか。それに交響曲に限らずどんなものでも抜粋聴きというのは邪道だと考える僕にとってみると非常に悩ましい。あれこれ思案しているうち、あっという間に開始時間を迎えたが、あとはご参加いただく方の様子を見ながら選曲はアドリブ的に進めていこうと腹を据えた。

今回は総勢で13名の方に参加いただき、年齢も中学1年生から年配の方まで老若男女多岐にわたった。こういう時は実に難しい。どこに焦点を当てればいいのか・・・。いずれにせよあまり難しい話を避け、できるだけ音楽そのものに触れていただきながら進めることにする。結局全曲を聴いたのは第5交響曲のみ。カルロス・クライバーの例の有名な録音。本当は聴き比べでフルトヴェングラーの1947年戦後復帰ライブも全曲聴いていただこうと企んでいたのだが(笑)、今回は叶わず。やっぱりその後に続く「田園」や第7、第9をたとえ抜粋でも耳にしていただいた方がベターかと判断したのだが、実際はどうだったのだろう・・・?

自己評価は70点。ともかくベートーヴェンについてはお話しさせていただきたいことがあり過ぎる。かつ、僕自身思い入れも深く客観的になりにくい。本当は5回くらいの連続講座にして、1番から順番にその背景をいっしょに勉強しながらじっくりと聴き込み、最終的には実演に触れていただくというコースにしたいくらい(そういう案もありかも・・・)。

本日の講義のキーワード。「アダルト・チルドレン」、「恋愛」、そして「フリーメイスン」。こういっちゃあ元も子もないが、話をしていて自分ながら少し違和感を感じ始めている。当たり前だが、僕は実際にベートーヴェンに会ったことがない。そのバックグラウンドも人が書いた伝記の類から得たものだし、ある意味全ては推測にすぎない。ブラームスとクララ・シューマンのことについてもそうだが、後世の我々は「真実」を知る由もない。だから、今となっては残された音楽そのものだけが「真実」だということ。それを聴いてどう感じるかだけが「現実」であり、それ以外のものは作られた「幻想」のようなものであり、言うのや考えるのは勝手という域。そんなことを考え出すと、そもそも講座なんてやってられないのだけれど・・・(苦笑)。ともかく聴いて何を感じるかだろう。クラシック音楽講座をやりながら、「未来」も「過去」もなく、結局は「今」しかないということをあらためて感じさせられたことが今日の収穫。

深夜に、少し反省しながらベートーヴェンの師とでも言うべきヨーゼフ・ハイドンの交響曲を久しぶりに聴く。

ハイドン:
・交響曲第92番ト長調Hob.Ⅰ:92「オックスフォード」
・交響曲第94番ト長調Hob.Ⅰ:94「驚愕」
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ベートーヴェンが相当な革新者だとしても、ハイドンやモーツァルトがいなければ彼のその「着想力」も活かされなかったことは間違いないと、このバーンスタイン盤を聴いて思う。何せモーツァルトは40曲以上、ハイドンは100曲以上もの交響曲を世に問うているのだからまったく桁違い。特に、各々晩年になるにつれ、ひとつひとつが個性的で芸術性満点、かつ革新的なのだから、恐れ入る。音楽が創造される、その対象は未来も含めた全人類。ハイドンとモーツァルトは晩年になるにつれ、ベートーヴェンに至っては生まれながらに、実に「全人類」のために音楽を書かされたのではないか、そんな気までした。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
>当たり前だが、僕は実際にベートーヴェンに会ったことがない。そのバックグラウンドも人が書いた伝記の類から得たものだし、ある意味全ては推測にすぎない。
結局、私達クラシック・ファンは全員、ひとりひとりが、大河ドラマの脚本家みたいなものだということですよね。文献と、自分の現代人としての経験則と価値観を頼りに、勝手に「解釈」をしている点では、演奏家も聴き手も同じですよね。
レコ芸1月号は、中々興味深い文章が多かったです。宇野功芳氏と金子建志氏による交響曲の新譜月評では、テンシュテットの指揮についてのお二人の感じ方の差異が、見事に浮彫になっていますよね(笑)。私はどちらかというと金子先生派ですが、80歳になられた宇野先生も最近はインバルを高く評価されるようになられ、御同慶の至りです(笑)。
フルトヴェングラー指揮ベルリンPOによる1952年12月8日ライヴの「エロイカ」のCD(セブンシーズKICC895)の評の中で、宇野先生、いいことをおっしゃっています。
・・・・・・しかし再現部以後のアッチェレランドはものすごく、この演奏に初めて客席で接した人はたまらなかったはずだ。その1回かぎりの演奏を数え切れないほど聴いていること自体異常であり、しかもそれを批評するなど、本来とんでもない話といえよう。・・・・・・
御意!!(笑)
さらに、97歳(1913年生まれ)の吉田秀和先生は、連載「之を楽しむ者に如かず」で、更に冴えておられます。鋭く核心を衝いていて見事です。凡百の、何の緊張感もないベテラン・中堅・若手評論家とは格が違います。重い言葉です。ただただ尊敬するばかりです。
・・・・・・でも、たまたまブライロフスキーとグルダという非常に違ったタイプの音楽家の例に出会って、改めて感じるのは、「生きた演奏」の面白味、それが当然のこととしてひき手の人間とその時代の流れ、雰囲気を蘇らせるようなスタイルの貴重さである。
 それにしても、今私たちの生きている時代の音楽―――そのイラストレーションとしてではなく、生きている時代そのものの内容としての演奏とはどういうものか? それと切り離されて、何を代表するということもなく生きている演奏―――「絶対演奏」?―――はどこにどうやって生存しているか―――そういうことを考えさすような演奏もある。かつてはそれが音楽の自立性のシンボルみたいに考えられていた時代もあった。そういうものを、今、きき返してみると、何というか、まるで内容のない、空しい努力の集積のようにきこえてくることがある。おかしなものだ。特に、そういうものこそ「名演奏」と称えられた例もあるのだから。
 そういう演奏をきく時は、あるいはその演奏の価値を判断する時は、それ自体だけではなく、まわり、つまり歴史的環境との関係も考えてやることも少しは訓練しておいた方がいいかもしれないのである。やみくもに、ただ「うまくひいた」、「ここが悪かった」といってみるのは―――だから悪いというのでもないが―――少し単調すぎ、退屈ではないだろうか?・・・・・・
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今年1年我々が重要視しつつ議論してきた中身も、吉田先生のおっしゃることと、まさに相似形ではないでしょうか。
音楽とは、「時代」と呼吸し合ってこそ、はじめて意味を持ちますよね。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
昨日はいろいろとまた考えさせられました。
自分の勝手な解釈を押しつけていいものなのか・・・たとえそれが文献から得た確かなエピソードに基づいたものだとしても、とか、やっぱり実演に触れないことにはどうにもならない、とか・・・。とはいえ、クラシック音楽に、あるいはベートーヴェンという作曲家に興味を持っていただくということが昨日の講座の趣旨でもありましたから、入口としてはこれまで通りでいいのかなと考え直しましたが。
人に何かものを教えるのって難しいですよね。
音楽講座でもワークショップZEROでも結局、こちらが勝手に決め付けず、ご参加いただいた方に自由に感じていただくという方向性が一番確かで、一番納得のゆくものになるんだということを再確認しました。
ところで、今月号のレコ芸すっかり買い忘れています(失笑)。昔は毎月20日が待ち遠しかったのですが、ここのところ1週間くらいたってから買うという事態になっておりまして。この雑誌自体あんまり魅力的じゃなくなってきてるということですかね(笑)。
とはいえ、ご紹介の吉田秀和氏の文章、やっぱりいいですね。少なくとも吉田先生が生きてレコ芸に書かれているうちは買わないわけにはいきません。それと、小石忠男氏が亡くなられて、交響曲の月評がコーホー&ネコケンになった点も興味深いです。
ありがとうございます。
>音楽とは、「時代」と呼吸し合ってこそ、はじめて意味を持ちますよね。
同感です!

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