クリスマスにクラウス・シュルツェ

klaus_schulze_dresden_performance.jpg先日、デュトワの指揮するショスタコの第8交響曲に触れ、作曲家の頭の中は一体どんな風になっているのか真剣に考えさせられた。わずか3ヶ月ほどであの長大で重厚、かつ個性的な作品を生み出した「着想力」と「構築力」、とても人間業とは思えない。一昨日の瑞浪での愛知とし子のリサイタルでも抜粋ながら披露されたムソルグスキーの「展覧会の絵」についてもそう。遅筆、あるいは途中で投げ出すので有名な作曲家がわずか3週間ほどで、この眩いばかりの旋律と音楽性をもつ大傑作(作曲当時は理解されなかったようだが)を書き上げたのだから今更ながらその才能に恐れ入った。我々凡人には想像もつかない「脳」の細胞が動いているのだろう、あるいは「全体を即座に捉えることのできる能力に長けているのだろう、何度繰り返し聴いても、たとえそれがどんな演奏でも相応の感動を与える音楽などそうそうは書けまい。

本日、エルーデ*サロンにて「ストレングスファインダー」勉強会を開催したが、何とも興味は尽きない。何より自分の「強み」に気づいていない人、わかっていても無意識にそれを否定してしまっている人など様々。やっぱり日常的に自身を振り返り、自らを信じる力を養うことがいずれにしても第一だろう。

明日は2ヶ月半ぶりの「早わかりクラシック音楽講座」(先月は「恋物語」だったので随分と間が空いた)。ベートーヴェンのシンフォニーを聴き比べるが、ご披露したい音盤は膨大。限られた時間の中でいかに楽しく意義のあるパフォーマンスができるか腕の見せ所か・・・。いずれにせよベートーヴェンの偉大さを再確認し、歴史的名盤を中心にご参加いただく方にご堪能いただこうと思う。

ところで、ここのところベートーヴェン漬けだったものだから、少し頭を冷やす意味でアンビエント・ミュージックなどを、と久しぶりの音盤を取り出す。タンジェリン・ドリーム、アシュ・ラ・テンプルと渡り歩き、1972年にソロ・デビューしたクラウス・シュルツェが1989年5月、ベルリンの壁崩壊前のドレスデンで行ったパフォーマンスの実況録音(を中心にした音盤)。

Klaus Schulze:The Dresden-Performance

パート1からパート5までの合計140分以上に及ぶインストゥルメンタルの大作は、コンピューターやシンセサイザーを駆使してのシュルツェの独壇場。絶句・・・。

・Dresden Ⅰ
元々ドラマーだったシュルツェらしい、リズミカルな主題をもとにまるで即興のように繰り広げられる44分強に及ぶ大作。当日会場に居合わせた聴衆の「官能」までもが録音されているような錯覚に陥る。

・Dresden Ⅱ
CDでは収録時間の関係で2枚目に収められているドレスデン・ツー。こちらも46分強の渾身の作品。「ゆく川の流れは絶えずして・・・」、そんな文句を彷彿とさせる、あるいはワーグナーの無限旋律を思い起こさせる、永遠に続く「音」たち・・・。ともかく集中するべし。そこには恍惚がある。

1989年8月5日に、当時東ドイツであったドレスデンでのライブでは6,800人ものオーディエンスが集まったが、警察当局の命令でパート1と2しか演奏できなかったという。5つのパートをこの日のために準備していたシュルツェは、残るパート3~5をスタジオ・ライブ録音し、あわせて翌90年11月にリリースされる。

黙って聴いていればそのまま眠りに落ちそうな「環境音楽」だが、ワーグナーを崇拝するシュルツェだけあり、聴く者をまったく飽きさせない(いや、その世界をある程度知ったものでないと退屈に聞こえるかも知れないが)。時間の関係で今日はパート1と2のみ。これだけで90分超だからブルックナーやマーラーの比ではない・・・。

4 COMMENTS

雅之

おはようございます。
今朝も冬休み思考停止モード(笑)ということで、ブログ本文にあまり関係のないコメントですが、どうかご容赦を・・・。
テクノに多大な影響を与えたことで私も知っているシュルツェの、ご紹介の音盤は残念ながら所有しておりません。
しかし、今年はコンピューターや機械もベートーヴェンに匹敵する感動を与えることが可能なことを、今年6月に60億キロを旅してカプセルを届けて燃え尽きた探査機「はやぶさ」で実証された年だったという、嬉しい感慨を持つことができました。
川口 淳一郎 (著) 『はやぶさ、そうまでして君は~生みの親がはじめて明かすプロジェクト秘話』
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%B6%E3%81%95%E3%80%81%E3%81%9D%E3%81%86%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%81%97%E3%81%A6%E5%90%9B%E3%81%AF%E3%80%9C%E7%94%9F%E3%81%BF%E3%81%AE%E8%A6%AA%E3%81%8C%E3%81%AF%E3%81%98%E3%82%81%E3%81%A6%E6%98%8E%E3%81%8B%E3%81%99%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88%E7%A7%98%E8%A9%B1-%E5%B7%9D%E5%8F%A3-%E6%B7%B3%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4796678913/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1293313573&sr=1-1
など、このところ「はやぶさ本」を5~6冊読み漁り、関連DVDも2作品購入したり、すっかり「はやぶさ萌え」状態です。
文系、理系、老若男女を問わず、ブームになっているのがいいです。
何も卑屈になることがなく、屈折した心境にもならず、ブームの輪の中に入れるのも気持ちがいいです。
本当に、今年の明るい話題でした。
的川 泰宣 (著)『小惑星探査機「はやぶさ」の奇跡』
http://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8F%E6%83%91%E6%98%9F%E6%8E%A2%E6%9F%BB%E6%A9%9F%E3%80%8C%E3%81%AF%E3%82%84%E3%81%B6%E3%81%95%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%A5%87%E8%B7%A1-%E7%9A%84%E5%B7%9D-%E6%B3%B0%E5%AE%A3/dp/4569792340/ref=pd_sim_b_3
には、こんなネット記事が紹介されていました。
―――癌治療中@38歳♂:2006年3月11日(土)。入院先から外泊許可が出て、2ヵ月ぶりにパソコンの電源を入れ、はやぶさスレを探して、ここに辿り着きました。3月7日の記者会見で通信が回復したことを知り感動しました。闘病を続ける自分の現状とはやぶさの状況が重なって感じられ、涙してしまいましたが、生きる希望をもらいました。絶対に、はやぶさの2010年6月の帰還まで生きているためにも闘病を頑張りたいと思います。がんばれ! はやぶさ! オレも生きるぞ!―――
コンピューターであろうが、シンセサイザーであろうが、探査機であろうが、ピアノやヴァイオリンと同様かそれ以上に、奇跡が起こせるし、人の心を震わせることができるのですね!・・・、それを操っているのも人間なのですからね(笑)・・・。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
>コンピューターや機械もベートーヴェンに匹敵する感動を与えることが可能なことを、今年6月に60億キロを旅してカプセルを届けて燃え尽きた探査機「はやぶさ」で実証された
>コンピューターであろうが、シンセサイザーであろうが、探査機であろうが、ピアノやヴァイオリンと同様かそれ以上に、奇跡が起こせるし、人の心を震わせることができる
ご紹介の投稿記事などを読んでみると、本当に感動的ですね。
機械に負けてられません、僕もがんばらねば!!!(笑)

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雅之

「はやぶさ現象」については、なぜこれほどまでに日本人の幅広い層でブームになっているか、何がそれほどまでに人々の心を捉えているかを、きちんと分析しておく必要があると思います。
※一例
公開サイト 毎日jp〈記者の目:「はやぶさ現象」を振り返る=永山悦子  2010年12月21日 0時23分 〉より
 6月13日、ぐるっと360度、地平線まで無数の星に埋め尽くされた夜空が広がる冬のオーストラリアの砂漠に、私はいた。そこへ7年間60億キロの旅を終えた小惑星探査機「はやぶさ」が帰ってきた。探査機本体はバラバラになりながら、満月よりも明るく燃え上がり、その中から「子ども」のようにカプセルの光が飛び出した。手がかじかむほどの寒さも忘れた、はやぶさの見事なフィナーレ。今思い出しても胸が熱くなる。
 はやぶさには、地球帰還前後から想像を超える世間の関心が集まった。これまでの宇宙のニュースとは違う「はやぶさ現象」が起きた。私は、この現象の謎を解くことが、混迷する日本の針路を開く一つのカギになると考える。
 はやぶさは127億円で開発され、人類初の小惑星からの岩石採取に挑み、小惑星イトカワの物質を持ち帰ることに成功した。持ち帰った物質は太陽系の歴史を解明する手がかりになると期待され、宇宙開発史に名前を刻む偉業だ。さらに、はやぶさは「数々のトラブルをけなげに乗り越えた不死鳥のような粘り強さ」「動画サイトや宇宙航空研究開発機構(JAXA)ホームページでの擬人化」「ツイッターによるリアルタイムの情報発信」など、幅広い関心を集める要素が多かった。
 ◇見学に20万人、映画化の話も
 だが、これらだけでは、はやぶさのカプセルの全国公開に計20万人以上が押しかけ、国内外から映画化の話が舞い込み、主に文化活動を表彰する菊池寛賞など宇宙開発とは縁遠い賞が次々贈られる--などの現象を説明できない。
 05年に、はやぶさがイトカワに着陸する様子を伝えたJAXAのブログに携わった寺薗淳也・会津大助教は「はやぶさは、日本の閉塞(へいそく)感を打破した。先が見通せない危機的な状況を、チームワークで乗り越えた姿は人々を勇気づけ、『やればできる』『やらなければいけない』という思いを植えつけた」と分析する。
 実際、自分の人生と、はやぶさの旅を重ね合わせた人たちは多い。プラネタリウム向けのはやぶさの映画を製作した上坂浩光監督は「心臓病の人から『人生を投げ出したくなったときに映画を見て気持ちが変わった』と手紙をもらった。はやぶさがやったことの重みを感じた」と話す。
 私は「記者の目」欄で過去2回、はやぶさを取り上げ、「事業仕分け」に代表される科学技術に確実な成果を求める風潮に疑問を呈し、未知の領域に挑戦する研究を許容する懐の深さを求めた。だが、今回の現象を見ると、はやぶさの影響は、宇宙開発や科学技術にとどまらない。直接持ち帰った土産は、肉眼では見えない微粒子だが、人々の人生観や価値観という心の琴線に触れる効果をもたらした。
 ◇頑張ればできる、国民の自信に 
 国内外の宇宙探査に詳しい的川泰宣・JAXA名誉教授は「多くの人は、日本は安全保障でも経済でも、自分の足だけでは立てない国、と思っていた。ところが、はやぶさは、ほぼ日本の力だけで成功した。日本はもっといい国になれる、頑張れば世界一流のことができる、と思うきっかけになった」と話す。
 私たちは今、自分の国やふるさとについて考える機会があまりない。逆に、先行き不透明な日本のことなど考えようもない、と感じているかもしれない。そんなとき、はやぶさは私たちが暮らす国を見つめ直し、考えるスイッチを入れた。
 冷静に振り返ると、はやぶさの評価が今のように定まったのは、帰還前後のこと。仮に帰還できなくても、小惑星への着陸・離陸など人類初の成果を上げていたが、はやぶさ後継機は事業仕分けで予算を削られそうになり、担当閣僚は「(帰還まで)踊り場に置いておいた」と説明した。
 はやぶさプロジェクトを率いた川口淳一郎JAXA教授は「これまでの宇宙探査は『役に立たないこと』の代名詞だった。だから、政治家や役人は、この盛り上がりに『あれ?』と感じたのではないか」と指摘する。そして、こう続けた。「はやぶさは『国民は本当に役に立つものだけを欲しているのか』という問いを投げかけた。『国民が欲しているのは、国の明るい展望ではないか』と」
 人々は、自分や国の未来を前向きに考える共通の基盤を探しているのだ。政府は今後、「国民が本当に欲していること」を見極め、予算配分や日本の針路を考えることが必要だ。はやぶさ現象を一過性のブームで終わらせないため、科学に限らぬ広い分野から「第二のはやぶさ」が生まれることを願いたい。だから、はやぶさ、ゆっくりおやすみ。(東京科学環境部)
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20101221k0000m070131000c.html?inb=yt

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岡本 浩和

>雅之様
ストレングスファインダーの34の強みという観点からいうと、日本人に一番多いのが「達成欲」だということです。
「達成欲」とは、
何かを成し遂げたいという欲求。毎日がゼロからのスタート。朝起きていっぱいやることがあるのが好き。お休みをとっていても何かをしたい。常に駆り立てられている感じ。バイタリティーがある。健康。エネルギーが枯渇しない。チームの生産性のレベルを上げる。部下に対しても要求するので、部下が苦しくなる可能性あり。マラソンしている人が多い(終わったときの達成感)。スケジュール帳が埋まっているのが好き。動きが空回りすることもある。
という特長ですが、「はやぶさ」現象というのは日本人のこういう特質にマッチしたものなんじゃないかと思いました。
ご紹介いただいた永山さんが書かれている記事を読むと、本当にその通りだなと思います。どうも人々が「弱気」になっているんでしょうね。月並みな表現ですが、「たとえ失敗しても良いじゃないか、やってみようよ。そしてついにはやればできるんだ!」という希望に満ちた生き方をみんなしたいんだと思います。政治家は目先の現実的なことにも対処していかなければなりませんが、夢を追うというロマンも必要ですよね。

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