朝比奈隆指揮新日本フィルのベートーヴェン第9番(1988.12.15Live)を聴いて思ふ

忘れもしない、僕が聴き得た最高の「第九」。
あの生々しい、そしてベートーヴェンへの想いの詰まった、重厚かつ愚直な演奏は、朝比奈&新日本フィルの真骨頂。後に彼の「第九」は幾度か聴いたが、他の作品も合わせ随一のものであり、ベートーヴェン・ツィクルスとしても唯一無二の逸品であったと今でも僕は信じている。

あれから30年という月日が流れる。
光陰矢の如し。
その間、様々な音楽に僕は触れてきた。幸運なことに、あの日の演奏が音盤として残されている。(もう滅多に聴くことはないが)ひとたび耳にすると、第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポ,ウン・ポコ・マエストーソ冒頭のカオスから、即座にあの日の記憶、そして感興を取り戻すことができる。音圧といい、音楽のエネルギーといい、半端でなかった。

言葉を尽くして何も書くことがないというのが本音。
仮に、あの日の興奮のわずか数パーセントしか記録されていないのだとしても、僕がどうしても後世に伝えたい名盤のひとつである。

至言という理由は二つある。その第一は楽曲、ことに朝比奈氏の主要なレパートリーであるベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーなどの交響曲は、近代ヒューマニズムの精神と不可分に結びついており、それを十全に理解して核心に迫ることは、人間というものを深く理解することにひとしい。これは豊富な人生体験を経てはじめて可能になるのであって、若輩のとうてい及ぶところではない。
(俵孝太郎「朝比奈隆の至言」)
ONTOMO MOOK「朝比奈隆—栄光の軌跡」(音楽之友社)P18

そう、このあまりに人間的で温かい「第九」の奇蹟。

朝比奈隆/新日本フィル ベートーヴェン・チクルスI
朝比奈隆80歳記念 新日本フィル財団法人化記念
・ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」
豊田喜代美(ソプラノ)
秋葉京子(メゾソプラノ)
林誠(テノール)
高橋啓三(バスバリトン)
晋友会合唱団
朝比奈隆指揮新日本フィルハーモニー交響楽団(1988.12.15Live)

フルトヴェングラーを髣髴とさせる絶美の、祈りの第3楽章アダージョ・モルト・エ・カンタービレに24歳の僕は恍惚となった(今でもこの演奏は凄いと思う)。

それから、予想以上に、テンポが遅かったように思います。特に第3楽章は凄かったですね。
朝比奈 〈第9〉は2公演だったので、前の日にも、かなり遅くやったんだけれど、その時に、オーケストラが充分に持ちこたえられるという感触だったので、今日は、もう少し落してみたのです。そうしたら「互いに見合って」みたいになって、また遅くなった(笑)。
—それで、どんどん重厚になっていったわけですね。それから、昨日は、フィナーレの「Vor Gott」のところで、スコア通り、ティンパニだけをディミヌエンドさせていましたね。
金子建志編/解説「朝比奈隆—交響楽の世界」(早稲田出版)P27-28

舞台裏の本音を覗くと面白い。朝比奈隆も十分に即興的な指揮者だったことがわかる。
それゆえに生み出された生命力と集中力。天晴れ、である。

ところで、97年から98年にかけてのツィクルスももちろん実演では聴いているが、(最近フォンテックから順次リリースされている)音盤は未聴。当時の僕の勝手な印象では88年から89年にかけてのツィクルスの方が上。

 

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