ピリスのショパン「幻想曲」「子守歌」(1998.7録音)ほかを聴いて思ふ

chopin_preludes_pires529表現者によって楽器の音はこうも変わるものかと痛感する。ましてや録音となると、そこに関わる多くの人々の思念が刷り込まれるゆえなおさら。マリア・ジョアン・ピリスの奏でる音楽は、とにかく「歌う」。豊かな詩情と類い稀な技術に基づく理路整然とした美しい情念に満ちる。

幸せの(はずの)「幻想曲」。ノアンのサンドの邸宅で最も平和で最も有意義なときを過した(はずの)ショパンの傑作のひとつだが、心なしかここには不安や不満が過る。

今日「ファンタジア」が終わりました。―お天気はよいのですが、みじめな気持です。―問題ではありません。死中に活を求めよう。―すなわちルロー流の考え方でなく―彼のいうところによれば人は賢ければ賢いほど、若ければ若いほど自殺をする―、それから悪い考えを引き出してはいけません。―ぼくは食事にします。
(1841年10月20日付、パリのジュリアン・フォンタナ宛)
アーサー・ヘドレイ著/小松雄一郎訳「ショパンの手紙」(白水社)P291-292

ショパンの楽観というのは言ってみれば似非だ。何という悲壮。愉悦の裏側にある厭世こそがショパンのなせる歌。それを見事に浪漫的に奏し切るピリスの力量。何という自由!!
また、テンポを抑えて、ニュアンス豊かに表現された「幻想即興曲」。こんなに粘る(?)同曲は初めて聴いたかも・・・。懐かしさに思いを寄せ、そして名残惜しさに尾を引かれ、僕たちは彼女の鳴らす最後の音を受け止める。
あるいは、「子守歌」の優しくも虚ろな響きに、自身を癒そうとするショパンの倦怠を思う。

ぼくに心配なのは、あなたは時としてこらえ性がなくなることがあることです。ぼくが率直にお願いしたいことは、例えばシャトルーからあなたの手紙の返事をもって来た御者にあまりやかましく言わないようにしてもらいたいとか、こういうじれったいことです。明日また書きます。あなたがもっと目のさめるようなものを転送します。
(1844年12月5日付、ノアンのジョルジュ・サンド宛)
~同上書P337

ショパンは随分我慢しているようだ。そのことは同時期に生み出された「子守歌」の音調に触れればわかる。その上、ピリスの表現は作曲者の内側にある悩みを一層際立たせるようにどこか悲しい。

ショパン:
・幻想曲ヘ短調作品49(1998.7録音)
・幻想即興曲嬰ハ短調作品66(1998.7録音)
・子守歌変ニ長調作品57(1998.7録音)
・24の前奏曲作品28(1992.9録音)
マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)

正統派前奏曲集。
こぼれんばかりの音楽的センスはピリスならでは。アルゲリッチのような煌びやかさはない。もちろんポゴレリッチのような変態もない。ただし、その安定感の素晴らしさ。

からだはたいへんよくなったように思います。ピアノをひきはじめました。食事、散歩、話、みんなと同じです。ぼくが数行だが自分で書いた手紙をあげるのだから、書くことにもさしつかえないことがわかるでしょう。で、もう一度仕事のこと。「プレリュード集」の献呈がプレイエルにきまればたいへんよいと思っています。まだ印刷されていないのですから、時間はたっぷりあります。
(1839年3月末、パリのジュリアン・フォンタナ宛)
~同上書P244

病と闘いながら生み出された音楽の崇高さ。第15番変ニ長調「雨だれ」における、誰のものよりも透明なピリスの演奏が脳みそを刺激する。また、第20番ハ短調の暗澹たる静かな音。マジョルカ島のショパンはやっぱり悲しい。さらには、誰に語りかけるつもりなのか、第21番変ロ長調の朗らかな囁き。ちなみに、第24番ニ短調の、アルゲリッチにあった激情はピリスにはない。あくまでも冷静沈着なショパン。

 

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