ヒリヤード・アンサンブルのバッハ モテット集(1984.7録音)を聴いて思ふ

まさに激務としか表現しようのない日々。

彼の1週間のスケジュールを想像してみると、たとえば月曜、火曜で作曲すると水曜、木曜は演奏用パート譜の作成でつぶれ、金曜、土曜と練習すると、もう日曜日の礼拝がやって来る、という具合である。もちろん写譜は家族や年上の生徒を総動員してやっと間に合うものの間違いが多く、バッハ自身の点検は常に必要不可欠であった。
樋口隆一「カラー版作曲家の生涯バッハ」(新潮文庫)P129-130

数々の名作誕生の背景にある重責と物理的拘束。
彼の作品を聴くたびに勤勉であることの大切さを思う。

新任のカントルは勤勉そのものだった。第1年次にあたる1723年の三位一体節後第1日曜日(その年は5月30日)から翌24年の三位一体節(6月4日)には、毎週日曜日のカンタータに加えて、7月18日に行われた市参事会員兼郵便局長の未亡人ヨハンナ・マリア・ケースの葬儀に際しては、おそらくあの美しいモテト《イエスよ、わが喜び》(BWV227)を上演しているし、クリスマスの晩課には《マニフィカト》の変ホ長調の第1稿(BWV243)を、クリスマスにふさわしい《高き天より》や《エサイの枝に花開き》等の4つの挿入曲とともに演奏しているのである。
~同上書P130

一切の愚作のない、高貴な調べに聖なる官能を思う。
ヒリヤード・アンサンブルの歌は、優しく、そして、心に迫る。

ヨハン・セバスティアン・バッハ:モテット集
・「主に新しき歌を歌わん」BWV225(1727?)
・「御霊はわれらが弱気を助けたもう」BWV226(1729)
・「イエスよ、わが喜び」BWV227(1730)
・「おそるるなかれ、われ汝とともにあり」BWV228(1726)
・「来たれ、イエスよ、来たれ」BWV229(1730)
・「主をほめまつれ、すべての異教徒よ」BWV230
ハノーファー少年合唱団
ロジャー・セリシウス(ソプラノ)
デトレフ・ブラチュケ(アルト)
クリストハルト・リーバート(アルト)
ヒリヤード・アンサンブル
ポール・ヒリアー指揮ロンドン・バロック(1984.7.3-9録音)

並大抵でない仕事量の背景には、篤い信仰心があったことは間違いない。
現代人がややもすると喪失する、生活することと信じることのバランスの見事な体現。

何もかも充たされる瞬間があるのだよ。ぼくらが憧れ、夢み、願い、怖れたことのすべてが充たされる瞬間が。わが娘よ、それこそ死なのだ。
(ゲーテ/高橋義人訳「プロメテウス」)

ヒリヤード・アンサンブルの歌は神々しいのだけれど、とても近しく親しみやすい。
死は決して恐れるものではないのだと訴えかけてくるようだ。
ハノーファー少年合唱団のソリストたちの天使のような透明な歌がまたあまりに美しい。

 

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