デュトワ指揮モントリオール響の「ラプソディ」(1995.5&10録音)を聴いて思ふ

フレディ・マーキュリーの自由自在な感性が息吹く「ボヘミアン・ラプソディ」は確かに名曲に違いない。

訳出するのに相応の苦労はあったようだが、ラプソディを狂詩曲とはよく言ったものだ。音楽は、人々を愉快にする。

ラプソディーは本来はギリシャ時代の短い叙事詩あるいは長編叙事詩の一部分を指す言葉でしたが、音楽上では、叙事的、英雄的な性格、言い換えるならば民族的伝説的な内容を表現するものとなっています。音楽語法上では〈幻想曲〉同様に、自由な形式をとり、まずは19世紀のピアノ音楽に現われました。
東川清一・平野昭編著「音楽キーワード事典」(春秋社)P273-274

フランツ・リストの「ハンガリー狂詩曲」を聴いて思う。
泉の如く湧き出る新たな楽想と、(おそらく)彼が幼少からずっと聴き続けてきた民族的な旋律の効果的邂逅。洗練されたシャルル・デュトワの棒から紡がれる物悲しさと哀愁、同時に、軽快かつ賑やかなパートで繰り広げられる喜び(リストが採用したのはハンガリー古来の民謡ではなく、ロマの音楽らしい)。
また、ドヴォルザークの「スラヴ狂詩曲」の、いかにもドヴォルザークらしい導入部のハープ独奏の美しさ(冒頭から反則である)。音楽はまったく隙なく、リズムは踊り、高揚する。どこかに潜む懐かしさは、ドヴォルザークの祖国への愛の表出か。デュトワは音楽に心底感応しているようだ。何という自然体、何という喜び。

・リスト:ハンガリー狂詩曲第2番ニ短調S359-2(カール・ミュラー=ベルクハウス編曲)
・ドヴォルザーク:スラヴ狂詩曲第3番変イ長調作品45-3
・アルヴェーン:スウェーデン狂詩曲第1番作品19「夏至の徹夜祭」
・エネスコ:ルーマニア狂詩曲イ長調作品11-1
・グラズノフ:オリエンタル(東洋風)狂詩曲作品29
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団(1995.5&10録音)

「夏至の徹夜祭」という名の、ヒューゴ・アルヴェーンの狂詩曲の主題は、NHKの「きょうの料理」のあの有名なテーマに瓜二つ(という指摘は以前からある)。冨田勲が黙って拝借したのか、それとも偶然の一致なのか、いずれにせよ日本人には妙に親しみやすい音楽であり、ここでのデュトワは、楽想の移り変わり、情景の描写が実に見事で、オーケストラも直接に反応する名演奏を繰り広げる。
エネスコの狂詩曲は、そのエキゾチックな響きが素敵。それと、随所に散りばめられる「遊び」のセンス!デュトワの棒の魔法は、そういうところに現われるものなのだが、かつてのハラスメント疑惑によって今や彼が干されてしまったことが本当に残念。悪い癖は悪い癖として咎められて然るべきだが、「英雄色を好む」という言通り、彼からそういうものを取ってしまったら、音楽的には何も残らない。それくらい濃密な「遊び」のセンスが感じられる演奏。

そして、5部からなるグラズノフの狂詩曲は、文字通り自由な音の叙事詩。
おそらくこの「ラプソディ」と題されたアルバム中、最も気合いの入った、精神の奔放さと、しかし、そうはいっても定型からは決して外れることのない優雅な造形を保つもの。デュトワの選曲のセンスが光る。

 

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