壁にぶち当たったとき・・・

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ロベルト・シューマンの弦楽四重奏曲。ハーゲン四重奏団による演奏がお気に入りで、何年か前にブログでも採り上げたように、その昔時折取り出してはよく聴いていた。どういう心境でこの音楽は生み出されたのか。若い頃はあまりそういうことを考えずにとにかく気になった作品を聴き漁っていた。たまたま明日の講座でロベルト&クララ夫妻のことを採り上げることになったので、復習がてら文献をひもといたお陰で、なるほど「室内楽の年」といわれる1842年には、この夫婦の間にも悲喜交々いろいろとあったんだと再確認した。ますますこの音楽が好きになった。決して「中庸」でない、感情の乱れ、喜怒哀楽、諸々が実にうまく音化され、聴く者に「人間世界」についていろいろと教えてくれる。 

この年の2月、クララ・シューマンは夫ロベルトを伴って予定通り長期の演奏旅行に出る。ブレーメンとハンブルクにおいて交響曲第1番が演奏されたこと、その喜びも束の間、2月25日、オルデンブルクでのコンサートの後の晩餐会にクララだけしか招待されなかったという事件が起きる。それによって気持ちを害したロベルトは5週間の予定を3週間で切り上げ、一人自宅への帰路についた。


クララは日記に「結婚以来最もおぞましい日」と記しているらしいが、彼女自身は以後4週間にわたって継続される演奏旅行のため、結局ライプツィヒの自宅に戻ったのが4月26日だったという。

その間、ロベルトはひとり何をしていたのか。彼は対位法とフーガの勉強をし、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の徹底研究に時間を費やしていた。その成果として6月に3つの弦楽四重奏曲が一気に花開く。バッハやハイドン、ベートーヴェンという過去の天才の息吹を、譜面を通しながらも肌で感じながら、ロベルトは何を思ったのか。先般の不快な思い出を忘れようと、自分の才能の全て、感情のありのままをぶつけて、かの音楽を生み出したのか・・・。

その時、ロベルトがベートーヴェンのどの作品を手本にしていたのか僕は知らない。憤りや悲しみを和らげるために、例の「モル
ト・アダージョ」の楽章を持つ作品132を取り出していたのか(シューマンの第3四重奏曲の第3楽章はアダージョ・モルトの記号を持つ)、あるいは青春時代の幸福感をそのまま音に託したような作品18の1(シューマンの第2四重奏曲は同じくヘ長調)か。

ベートーヴェン:
・弦楽四重奏曲第1番ヘ長調作品18-1(1933.11)
・弦楽四重奏曲第15番イ短調作品132(1937.10)
ブッシュ弦楽四重奏団

古びた録音から匂い立つ「芳香」。聴き進むうちに、「古さ」や「音の悪さ」なんて吹き飛んでしまう。

昨日の「近藤恵三子画伯を囲む会」でもいろいろな話題が出たが、ロシア出身のピアニストの偉大さについて話が及んだ時、なるほどと思った。彼らはどんなに粗悪なピアノでも平気で達者にコントロールし、都度良い音楽を奏でられるようそもそも訓練されていると。ほとんどの一般的なピアニストは演奏する楽器を選べない。(ソ連崩壊直後の)ロシア人のようにがらくたのような楽器を日常的に操り、自分の音楽を表現していれば、調整されたピアノで演奏した時、途轍もなく最高の音楽ができあがるものなのだろう。

壁にぶち当たったとき、挫折を味わった時、人は普段の何倍もの「力量」を発揮する。ベートーヴェンが作品132を創作したのは、ほとんど治る見込みのない病から快復したことに対する感謝の念から。そしておそらく、ロベルト・シューマンが彼の偉大な弦楽四重奏曲を創作したその理由には、クララへの愛情のほかに、自身の器の小ささを反省するかのような、そんな思いを開放するつもりがあったのではないか。

そんなことを少し考えながら、ブッシュ弦楽四重奏団の演奏を聴いた。


2 COMMENTS

雅之

こんばんは。
>ロシア出身のピアニストの偉大さについて話が及んだ時、なるほどと思った。彼らはどんなに粗悪なピアノでも平気で達者にコントロールし、都度良い音楽を奏でられるようそもそも訓練されていると。ほとんどの一般的なピアニストは演奏する楽器を選べない。(ソ連崩壊直後の)ロシア人のようにがらくたのような楽器を日常的に操り、自分の音楽を表現していれば、調整されたピアノで演奏した時、途轍もなく最高の音楽ができあがるものなのだろう。
それは、昨日までの南米のサッカーにも通ずると思いました。彼らはたとえ貧しい家庭環境でお金をかけられなくても、子供のころから広い空き地などでボールを蹴って、逆境や、劣悪なピッチ・コンディションにも対応する逞しさを自然に身に付けるといわれてきました。彼らの、純粋培養のエリート教育だけで育つだけでは決して身に付かないアイデアの多さと強靭さから、日本のサッカー界が学ぶべき部分は、まだまだ多いと思います。
楽器もそう、オーディオもそう、現代人は贅沢になり過ぎ、進化と同時に確実に退化していますね。
さっき読んだばかりの坂本龍一氏のインタビュー記事の載ったサイトより、
「武満徹さんの話ですけど、戦争中に空襲に遭って防空壕に逃げ込んだら、居合わせた将校が、蓄音機でシャンソンをかけた。もちろんノイズがいっぱいだったんだろうけれど、その時もの凄く感動して、彼のその後の音楽活動の原点の一つになったんだそうです。だから、“音のS/N”と“音楽のS/N”って全然違うんです。MP3の128kbpsでギザギザの音でも、心を大きく揺さぶることはできる。必ずしも『高音質=音楽性が高い』というわけではないんですね」
http://www.phileweb.com/interview/article/200908/31/25.html
ご紹介の盤については過去にもコメントしました。
>古びた録音から匂い立つ「芳香」。聴き進むうちに、「古さ」や「音の悪さ」なんて吹き飛んでしまう。
同感です。
>ロベルト・シューマンが彼の偉大な弦楽四重奏曲を創作したその理由には、クララへの愛情のほかに、自身の器の小ささを反省するかのような、そんな思いを開放するつもりがあったのではないか。
作曲家が曲を書く動機とは、もっともっと複雑だと想像しますが・・・。
聴衆を騙したり期待を欺くことなど平気でやりますからねぇ、ロマン派以降になると(笑)。
少なくとも、「自身の器の小ささを反省するかのような、そんな思いを開放するつもりがあったのではないか」などと、もっと器の小さな21世紀型現代人の感覚で、岡本さんや私にだけは言われたくはないでしょうねえ(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
>昨日までの南米のサッカーにも通ずると思いました。
なるほどその通りですね。
以前も確かご紹介いただいた坂本龍一氏の言葉にも非常に説得力を感じます。そして、雅之さんの「現代人は贅沢になり過ぎ、進化と同時に確実に退化していますね。」という言葉まったく同感です。
>ご紹介の盤については過去にもコメントしました。
以前採り上げたのは12番&16番だったと思いますが、ブッシュQの演奏はどれも素晴らしいですよね。
http://opus-3.net/blog/archives/2008/09/post-428/
>作曲家が曲を書く動機とは、もっともっと複雑だと想像しますが・・・。
あ、このあたりは大目にみてください(笑)。言葉の綾ですから・・・。
>もっと器の小さな21世紀型現代人の感覚で、岡本さんや私にだけは言われたくはないでしょうねえ
そのとおりですね(苦笑)。

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