上岡敏之指揮新日本フィル定期演奏会ルビー〈アフタヌーンコンサート・シリーズ〉第19回

新春の宴。
イタリア・オペラの諸曲にブラームスの最晩年の作品が果たして交じり合うのかと、半ば興味本位で足を運んだが、どうして、どうして、さすがは上岡、まったく違和感なし。むしろ、あの髭面の、気難しいヨハネス・ブラームスが、陽光溢れる爽快なイタリアの地に憧れ、またその風を求めてアルプスを幾度も超えたその理由が逆によくわかって、とても面白かった。

アポロン的イタリア音楽の粋。例によって上岡敏之は暗譜でオーケストラをドライヴする。ほとんど操り人形の糸が、上岡の繊細な指から放り出されたかのように、オーケストラは機敏に反応する。あの音楽の揺れがまた堪らない。ヴェルディが弾け、ケルビーニが爆発するのだ。なるほど、音楽というものが、喜劇であれ悲劇であれ、物語をスムーズに運ぶための必須の機能であることを、「シチリア島の夕べの祈り」バレエ音楽や「メデア」序曲を聴いて僕は悟った。

ヴィオラ協奏曲となったブラームスの作品120-1は、さすがに暗譜とはいかなかったようだが、初めて耳にしたこのベリオ版は、もっとイタリア的な明朗さと、20世紀的複雑さを併せ持った珍品だろうと想像していただけに、そのあまりの静けさと大人しさに驚いたくらい。特殊な楽器を使用しないその編曲は、あくまでブラームスに寄り添ったもので、渋味と深い愛情を音化した見事なもの。上岡&篠崎による一貫して小さく、柔らかく、そして滋味溢れる音調で進みゆく音楽は、強いて言うなら、終楽章ヴィヴァーチェでようやくイタリア風協奏曲的明朗さが顔を見せるというもの。何というセンスに満ちるヴィオラ独奏であったことか。そして、オーケストラは決して出しゃばらず、あくまで伴奏に徹するもの。希望だ、光だ。ブラームスは決して暗くない。

新日本フィルハーモニー交響楽団定期演奏会
ルビー〈アフタヌーン コンサート・シリーズ〉第19回
2019年1月19日(土)14時開演
すみだトリフォニーホール
篠崎友美(ヴィオラ)
西江辰郎(コンサートマスター)
上岡敏之指揮新日本フィルハーモニー交響楽団
・ヴェルディ:歌劇「シチリア島の夕べの祈り」バレエ音楽「四季」より「冬」
・ケルビーニ:歌劇「メデア」序曲
・ブラームス:ヴィオラ・ソナタ第1番ヘ短調作品120-1(ルチアーノ・ベリオ編曲)(1986)
休憩
・ロッシーニ:歌劇「泥棒かささぎ」序曲
・ポンキエッリ:歌劇「ジョコンダ」バレエ音楽「時の踊り」より「昼の時の踊り」
・ヴェルディ:歌劇「アイーダ」より「小さなムーア人奴隷の踊り」「舞踏音楽」
・プッチーニ:歌劇「マノン・レスコー」間奏曲
・ヴェルディ:歌劇「オテロ」より「舞踏音楽」
・ヴェルディ:歌劇「シチリア島の夕べの祈り」バレエ音楽「四季」より「春」
アンコール~
・エネスコ:ルーマニア狂詩曲第1番イ長調作品11-1

それにしても上岡の奏でるイタリア歌劇からの音楽たちのめくるめく光彩!何といううねる音響。息つく暇もなく音楽は縦横に変化する。
ちなみに、後半最初の「泥棒かささぎ」序曲を聴いて(実演ではたぶん初めて)、僕はショスタコーヴィチがロッシーニの末裔たる天才だったのではないかと思った。打楽器の活躍、あるいは独奏楽器の重役、全体に感じられる直接的でない、二枚舌的愉悦、どこをどう切り取っても、その方法は100年後のショスタコーヴィチに通じるように勝手に思うのだ。それにしても今日のロッシーニは優れもの。
短いポンキエッリを経て、「アイーダ」からの音楽の解放感、そして、極めつけ「マノン・レスコー」間奏曲のディオニュソス的官能!あの感情移入の素晴らしさ。それでいて指揮者はまったく冷静なのだ。痺れた。「オテロ」はもちろん素晴らしかった。

しかし、驚くべきは、アンコールのエネスコ!
静寂、狂乱、西洋的、あるいは東洋的、様々錯綜する音楽の宝石箱の神々しい熱狂。本日のコンサートを締め括るに実に相応しい逸品!

 

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