一般に創造物は、何か外的要因による触発から生じるものであることが多い。
確かにきっかけはそうだろう。しかし、一旦本人の意志から離れ、形に表されたものは、間違いなく独立した「もの」だ。
ヨハネス・ブラームスは、晩年、一旦創作意欲を失ったものの、リヒャルト・ミュールフェルトのクラリネットに感銘を受け、この楽器の可能性にかけ、いくつかの室内楽作品を書き上げた。
最後の2つのクラリネット・ソナタは、とても簡素な味わいで、それまでの作曲者の培ったすべての方法が注ぎ込まれた名作だ。ブラームスは、ヴィオラ編曲版のほか、ヴァイオリン編曲版も残しているくらいだから、この作品に対する思い入れは相当にあったのだろう。友人や身内の数多の死を体験した彼の「諦念」と言ってしまえば、それは易しい。そんな軽々と言葉で表現できる代物ではない。
第1番ヘ短調第1楽章アレグロ・アパッシオナートにある憧憬。人生を振り返っての喜びの顕現なのか、ブラームスの音楽は終始安定していて、また(数年後に命を落とすことになる)レオポルト・ウラッハのクラリネットの音色がさすがに柔らかい。続く、第2楽章アンダンテ・ウン・ポコ・アダージョの希望に溢れる伸びやかな旋律を受けとる、若きイェルク・デームスの伴奏ピアノの深い情念にも心が動く。また、第3楽章アレグレット・グラツィオーソは明朗だ。それも、何とも軽く透明であることか!そして、終楽章ヴィヴァーチェの内なる喜びの発露。何と彼はまだまだ生き、そして新たな恋をしたいのだ!
ブラームス:
・クラリネット・ソナタ第1番ヘ短調作品120-1
・クラリネット・ソナタ第2番変ホ長調作品120-2
レオポルト・ウラッハ(クラリネット)
イェルク・デームス(ピアノ)(1953録音)
シューマン:
・おとぎ話作品132
レオポルト・ウラッハ(クラリネット)
エーリヒ・ヴァイス(ヴィオラ)
イェルク・デームス(ピアノ)(1950録音)
メンデルスゾーン:
・演奏会用小品第1番ヘ短調作品113
・演奏会用小品第2番ニ短調作品114
レオポルト・ウラッハ(クラリネット)
フランツ・バルトセク(バセット・ホルン)
イェルク・デームス(ピアノ)(1950録音)
シューマンにせよメンデルスゾーンにせよ、天才たちの創造する小さな室内音楽の、真っ直ぐな愛の発露にため息が洩れるほど。クラリネットの、低音から高音に至る音色の多様な変化に僕はあらためて感銘を受けるのである。
しかし、ブラームスは、あえてヴィオラ用にも、またヴァイオリン用にもこの作品をアレンジした。ミュールフェルトのクラリネットにインスパイアされつつも、彼は自身が愛するピアノに当然愛着があったのだと思う。この稀有な作品を世界により浸透させんがためだったのだろうか。
ブラームス:
・ヴィオラ・ソナタ第1番ヘ短調作品120-1
・ヴィオラ・ソナタ第2番変ホ長調作品120-2
・《F.A.E.ソナタ》からスケルツォ
ピンカス・ズーカーマン(ヴィオラ&ヴァイオリン)
ダニエル・バレンボイム(ピアノ)(1974.11録音)
興味深いのは、同じ作品でも、クラリネットとヴィオラの違いによって受ける印象がこうも変わるのかということ。それは演奏者の癖もあるだろう、楽器の特性ももちろんある、ヴィオラ版の何と力強いことか。第1番ヘ短調、沈潜する第2楽章アンダンテ・ウン・ポコ・アダージョは、見事な諦念の塊。ここでのバレンボイムのピアノはあくまで影に回り、ズーカーマンのヴィオラを謙虚に支える。しかし、終楽章ヴィヴァーチェでは、俄然バレンボイムは魅力を発揮する。
ところで、クララ・シューマンの、ブラームスへの最後の手紙。この、わずか13日後にクララは逝く。
心からのお喜びを、心からあなたの
クララ・シューマン
今はこれより書けません、でも近く
あなたの・・・
(1896年5月7日付)
~ベルトルト・リッツマン編/原田光子編訳「クララ・シューマン×ヨハネス・ブラームス友情の書簡」(みすず書房)P273
創造物は結局は独り歩きするものだ。
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