ほかにないブルックナーの音楽の特長のひとつは、クレッシェンドとディミヌエンドが基本的に排された作りになっていることだろう。
人間の感情も動きも、あるいは機械器具でもそうだが、徐々に動き始め、止まる時は急には止まれず、少しずつ減速してゆくというのが常であり、そういう「ゆらぎ」の中で自然も人間も生命を育んでいる中で、この人の生み出す音楽は突然ギヤチェンジされ、流れがぶつ切れ、突然叫びが襲って来たり、または突如として囁きになったりするものだから、当時の人々は面食らい、当然違和感を持ったのではないかと想像する。
しかし実際は、逆にそのことがまたカタルシスを喚起するのである。
僕が最初に聴いた交響曲第4番は、レーヴェによるいわゆる改訂版(改竄版?)によるものだった―つまり、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュによる録音。その後しばらくしてラファエル・クーベリックとバイエルン放送交響楽団による(当時)最新録音盤を手に入れて聴いた時の驚きといったら・・・。後期ロマン派風の味付けをされた、人間の感情の動きにほぼ等しい音の連鎖、あるいは響きを持った音楽として認知していた耳に、突如として真新しい音楽が飛び込んできたものだから・・・。
あの時に感じた「新鮮さ」、「崇高さ」、そして「衝撃」は今でも深層に残っている。そして今では時折になってしまったものの、ブルックナーの音楽を求めるときに最も「欲しい」と思う感覚がそれなのである。
1990年代にポニーキャニオンからリリースされた朝比奈隆&大阪フィルによる交響曲第4番の音盤は、実は2種類ある。最初にリリースされたものは1993年7月21日及び22日にサントリーホールで収録されたものと同年7月23日及び25日に大宮ソニックシティで収録されたものが編集されたものだったのだが、何と1年半後に「アートンCD」と称する「音の深さを実証する優秀録音盤」としてリリースされたものは、7月23日のサントリーホールでの実況録音が未編集のまま、つまり前後の拍手や楽章間の咳払いなどもそのまま残して音盤化されたものだった。どういう意図があったのかは定かでないが、できればコンサートのそのままを耳にしたいと常々思う僕にとってみると2つ目のアートン盤は願ったり叶ったりだった。
ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(ハース版)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1993.7.23Live)
ブルックナーの交響曲の中では、旋律の平易さと美しさが随一ということもあろう、最もポピュラリティを獲得している(といえる)第4番においてクライマックスはやっぱり終楽章だろう。朝比奈隆&大阪フィルの演奏もフィナーレに向け、徐々に力を増し、光彩を放つ。
ちなみに、音楽については金子建志氏による楽曲解説が簡潔でわかりやすい。
前3楽章の要素がコラージュ的に採り入れられた複雑な構成の曲。2楽章を回想するような瞑想、突然始まる闘争、そして空白―普通の意味で解り易い曲ではないが、理解のヒントは目先の急転にとらわれず、山頂と山頂、谷底と谷底を結びつけることだろう。コーダはブルックナーの最高傑作のひとつだ。
~新日本フィルハーモニー交響楽団オーチャード・シリーズ#199プログラムP8
「目先の急転にとらわれず」というのがミソ。何より「全体観」を鍛えるのにブルックナーの交響曲が良い訓練材料になることを示してくれるようで嬉しい。
金子先生がおっしゃるように、第1楽章第1主題が回想されるコーダは最高!!!
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