トスカニーニが・・・、踊る

トスカニーニというのはどうも「謎」の指揮者だ。
ニーチェの言う「アポロン的」なる演奏の最右翼がトスカニーニのそれで、カラヤンなど影響下にある後世の指揮者は多い。今でこそその芸術の何たるかを少しは理解し、貧しい音の彼方から聞こえてくる「骨太の地鳴りのような音楽」に心酔できるものの、やっぱり一筋縄ではいかない(少なくともレコードの上では)。もちろん実演に触れる機会など永遠に訪れない。我々は想像でしかトスカニーニの楽音を想像し得ない。ともかく「判断のつかない」名指揮者。

かつて若い頃はその芸風をどうにも受け付けなかった。おそらくそれは録音の性質に依るのだと思う。あまりに残響の少ない乾いた音のレコーディングが大半で、オーケストラの各楽器の細部までは明確に見渡せるものの、滴り落ちるような情感性に乏しく、色気のない音楽に思えて、少しかじってはほとんど棚の奥にしまわれたままほぼ陽の目をみないという状況が続いた。それでも、レスピーギの「ローマ3部作」オペラ序曲集などには舌を巻いた。しかし、一般的に人気のあるベートーヴェンの「英雄」(1953の方)や第7番(1951の方)についてはアナログ時代からひとつも良いとは思えなかった。そんな中で、一聴これは凄いと思えた音盤がこれ。

ロッシーニ:序曲集
・歌劇「アルジェのイタリア女」序曲(1950.4.14Live)
・歌劇「ブルスキーノ氏」序曲(1945.6.8録音)
・歌劇「セビリャの理髪師」序曲(1945.6.28録音)
・歌劇「チェネレントラ」序曲(1945.6.8録音)
・歌劇「どろうぼうかささぎ」序曲(1945.6.28録音)
・歌劇「コリントの包囲」序曲(1945.6.14録音)
・歌劇「セミラーミデ」序曲(1951.9.28録音)
・歌劇「ウィリアム・テル」序曲(1953.1.19録音)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団

トスカニーニは独裁者らしい。リハーサルでも怒号が飛び、殴られたり、傷つけられたり、そんなことは朝飯前だったよう。しかしながら、そういう極端なリーダーシップもありといえばありなのでは。もちろん今の時代、人々が決して精神的には強くない時代には彼のような方法は不適合だろうけれど、音楽を聴く限りにおいての見事な統率力は現代社会が求めている要素なのではと、このロッシーニ集を聴きながら考えた。

19世紀の前半、音楽の世界ではロッシーニが天下の時代だったという。基本的にドイツ音楽一辺倒だった僕にとってロッシーニは王道ではなかったけれど、トスカニーニの演奏を聴いたときはぶっ飛んだ。戦時中の録音も鑑賞に堪えうるもので、内燃するエネルギーが半端でなく、10代の僕の心を捕えた。その思いは30年を経た今でも変わらない。「どろぼうかささぎ」を聴いてあの頃を追想する。そして、「ウィリアム・テル」を聴いてかつてを懐かしむ。

ロッシーニの音楽はまるでドラえもんの四次元ポケットのよう。


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