歌曲集「子ども部屋」

moussorski_chansons_leiferkus.jpgキャリア・カウンセラーの資格を取得して丸2年経つが、資格を失効しないために「継続学習」なるものが必要になる。3年間でキャリア・カウンセラー協会が「学習」として認める講演会や研修に最低45時間分の参加を義務付けられるのだ。こういうことは地道にフォローしていれば全く問題ない。本日も千葉県の某大学にて90分の面接対策講座の後、新橋のリクルート・ビルにて慶應義塾大学、花田光世先生の講演会。題して「キャリアアドバイザーの役割パートⅥ:『展開できたらいいな』から『展開すべき』キャリア自律を考える」。

いわゆる大学の先生のアカデミックな講義というのは得てして面白くない。一方通行なのである。残念ながら今日の講演会も申し訳ないが眠かった。(比較するわけではないが)僕はといえば、少なくとも学生に向けての授業において「寝させないように」いつもコミュニケーションのキャッチボールを心がけるようにしている。とにかく意義ある、そして参加した人に喜んでもらえる「お話」をすることが大事である。

とはいえ、今日の講演会で気になる点もあった。花田先生は、言葉や表現方法は違えど、これからのキャリアアドバイザーにとって重要なことは全体を包括し受容すること、360度の観点からモノをみられる「人間力」の高さを重視していることがよくわかったのである。奇しくも先生は「人間力」という単語を使い、しかもそれは人事の対象にしにくいもので目に見えてブラッシュアップする方法が見当たらないということをおっしゃっていた。「いや、ここにあるよ」と言いたかった(笑)。「人間力」は企業が求めるように数値化することは極めて難しいが、僕に言わせれば磨く方法は明らかにある。何だかチャンスはあるのではないかと思えた。

帰宅後、ムソルグスキーを聴く。2月の「ロシアン・ファンタジー」のメイン・プログラムである組曲「展覧会の絵」が今から楽しみでしょうがないが、そういえばムソルグスキーについてはほとんど認識が薄いことに気がついた。1月の「早わかりクラシック音楽講座」ではムソルグスキーを採り上げるので、少しずつ勉強しようか・・・。ということで、本日は歌曲集。

ムソルグスキー:歌曲集
セルゲイ・レイフェルクス(バリトン)
セミヨン・スキヒン(ピアノ)

ムソルグスキーの歌曲では、ゲーテの「ファウスト」を題材にした「蚤の歌(メフィストフェレスの歌)」が有名だが、歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」とほぼ同時期に生み出された歌曲集「子ども部屋」に魅力を感じる。この曲集はシューマンの「子どもの情景」とドビュッシーの「子供の領分」に間に挿まれた、それらに決して優るとも劣らない傑作なのである。生前気狂い扱いされたこの芸術家はやっぱり凡人には簡単に理解し得ない「天才」である。

本日午後、拙宅では1月30日のチェロ・リサイタルの練習が例によって行われていた。諸々の所用のため、これまで僕は一度もそれを聴けていない、残念なことに。本番当日の楽しみにとっておけということなのか・・・。

「アフタヌーン・コンサート」
◆日時:2010年1月30日(土)15:00開演
◆会場:スタジオ・ヴィルトゥオージ(JR大久保・新大久保駅徒歩5分)
◆料金:全自由席¥2,000(高校生以下¥1,000)
◆プログラム:
・J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調BWV1012
・バルトーク:ルーマニア民俗舞曲Sz.56
・ショスタコーヴィチ:チェロ・ソナタニ短調作品40
◆出演:新木真理子(チェロ)、愛知とし子(ピアノ)
◆お問合せ・お申込み:mariko_araki@hotmail.com(新木まで)→@を@に変換してください!

4 COMMENTS

雅之

おはようございます。
私はムソルグスキーの晩年の歌曲集「死の歌と踊り」や「日の光もなく」については、深い内面性を湛え、真の傑作だと思っています。歌曲集「子ども部屋」はあまり聴き込んだことがなく勉強不足なので、これを機に聴いてみたいと思いました。
愛知とし子さんには、初めてお会いした当初から「展覧会の絵」を一度弾いていただきたいと願っておりました(アンケート用紙でリクエストもしました)ので、今回「ロシアン・ファンタジー」で実現して嬉しい限りです(「アフタヌーン・コンサート」とともに、何とかして聴きに行きたいんですが・・・)。
昨日、analog (アナログ) 2009年 10月号(音元出版)
http://www.amazon.co.jp/analog-%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%AD%E3%82%B0-2009%E5%B9%B4-10%E6%9C%88%E5%8F%B7-%E9%9B%91%E8%AA%8C/dp/B002MQJCSG/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1259872462&sr=1-2
を読んでいたら、坂本龍一がインタビュー記事で興味深い指摘をしていました(面白いので、立ち読み等で、ぜひ全文をご一読ください)。
「世界的に旧来の音楽ビジネスが下降線を辿って大変なんですが、音楽の消費や需要は増えているんです。でも一方でビジネスとなると、音楽というコンテンツのフリー化に急速に向かっていますよね。タダでもそれなりのクオリティのものもあるし、面白いものを探せばいくらでもあるので、有料のものをわざわざお金出して買うかどうかというのも、なかなか難しいものがあります。
音楽をメディアに乗っけるっていうことが、20世紀初頭から100年くらいの歴史があるでしょう。同じカラヤンの『第9』でも、最初のSPが十何枚とかなんですよね。それでLPだと1枚とか2枚とか。カラヤンの演奏に合わせたCDは1枚になりました。それで今度は配信になると、同じ『第9』というコンテンツもメディアを通して見るとどんどん近くなってしまって、僕らはレコードだったりCDだったり音楽を買っているつもりだけど、実はメディアを買っている。モノの製造コストや運搬コストとかそういうものを買っているんです。じゃあ〝本当の『第9』の値段は幾らなの?〟って言った時に誰も答えられないっていう面白いことが起きます。このことがネットの配信が出ることによって初めて分かったということですね。メディアという目で見ると、この100年の中でどんどんコンテンツの値段が0に近づいているという歴史でもあるんです」
「・・・・・・今の若い子は携帯で音楽を聴くけど、機種を変更する時に一緒に捨てちゃうっていいますよね。捨てちゃうことを省みないことが習慣になってくる。作る側もそういう風潮に合わせるから、どんどん安っぽい音楽になっていく傾向もあります。でも逆に、メディアはどんどん目に見えなくなる。だから世界的に音楽ビジネスの中心がライブ中心になる。今まで長いことメディア中心だったのが、今ものすごい勢いでライブ中心に移っていますよね。メディアがないと録音ができない以前、19世紀末までというのは、音楽は100%ライブだった。今それが目に見えないデータ化されたもの、触れないものになる時に、もう一回100年前以前のライブというものに欲求がどんどん強くなっているのは、すごく面白いことだなと、僕は思っています。なにか必然的な理由があるような気がしてならないのです」

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
ムソルグスキーの歌曲は「死の歌と踊り」、「日の光もなく」、いずれもおっしゃるとおり魅力的ですよね。僕は歌曲についてはクラシック音楽愛好人生の中の後半になって聴き込んだほうですから雅之さんほど詳しくないのですが、それにしてもムソルグスキーは最高だと思います。とにかく深いですよね。
1月、2月のコンサートについては雅之さんにも聴いていただきたいですね。ご都合が合うようでしたらぜひお出かけください。
ところで、ご紹介の坂本龍一のインタビュー記事、興味深いですね。さすが教授は洞察が深いです。文明的進化は人間の本来の欲求とは相反するのかもしれません。進化は退化なり、ですね。

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アレグロ・コン・ブリオ~第4章 » Blog Archive » 時代がムソルグスキーに追いついた

[…] ショスタコーヴィチの第14番交響曲を聴いていて、ムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」の雰囲気、語法と極めて近い世界を感じる。調べてみると、第14番そのものはムソルグスキーの「死の歌と踊り」の伴奏部を1964年にオーケストレーションしたことが契機になって生み出された作品のようだから、ショスタコーヴィチも19世紀のロシアのこの天才の影響を少なからず(というか大いに)受けているのだろう。少人数の室内楽的管弦楽団によって演奏される音楽だが、まるでロシア・オペラのような土俗的な暗さと懐の深い広大さが全編を覆う。なるほどショスタコーヴィチを理解するにはもちろん彼の作品の実演体験が不可欠なのだろうが、一方でロシア音楽の先達たちの音楽についても克明に研究するべきだと再確認した。 特に、42歳で狂死したモデスト・ムソルグスキーについては知らないこともまだまだ多く、作品についても有名どころを繰り返し聴いて来たに過ぎないから、この際並行して深く追究してゆこうかと考える。 そういえば、ムソルグスキーの「ホヴァンシチナ」前奏曲のショスタコ・アレンジは、以前ゲルギエフによる「展覧会の絵」がリリースされたその音盤に付録でついていたが、ショスタコーヴィチとムソルグスキーの魂のふれあいを間近で感じられるようで(ショスタコらしいスパイスを効かせながら決してムソルグスキーに対する畏敬の念を忘れていない傑作アレンジ)、メイン曲よりむしろそっちの方を一生懸命聴いた記憶が蘇ってきた(嗚呼、通称「モスクワ河の夜明け」よ!)。シャルル・デュトワが昔録音したリムスキー=コルサコフ版と比較して聴いてみると性質の違いが見事に出ていて面白い(ちなみに、アバドがリリースした「はげ山の一夜」オリジナル版が収録されている音盤にもこの前奏曲は入っているけど、こちらはどの版なのだろう?時間が無くて今日は取り出せないが、じっくりまた聴いてみたいところ)。 […]

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