ハンガリー弦楽四重奏団のチャイコフスキー四重奏曲第1番ほか(1952.9録音)を聴いて思ふ

今朝、目覚め直前に夢を見た。
ホールは不明(正面にオルガンがあり、僕は2階にいた)。指揮もオーケストラも、また、出演者も残念ながら記憶に残っていない。
ただ、演目はコンサート形式の歌劇「ドン・ジョヴァンニ」だった。終演直後の聴衆の圧倒的な拍手喝采のシーンまでもがいまだ目に焼き付いている。

私は「ドン・ジョヴァンニ」の音楽にすっかり惚れ込んでいるので、今あなたに書いている瞬間でも興奮で胸がいっぱいになり、泣きたくなるくらいです。「ドン・ジョヴァンニ」の音楽こそ、私が感動というものを覚えた最初の音楽です。イタリア・オペラしか知らなかった私が生涯を音楽に捧げるようになったのも、モーツァルトのおかげです。
「モーツァルト事典」(冬樹社)P222

チャイコフスキーは、フォン・メック夫人宛ての手紙の中でそう綴る。
モーツァルトの音楽が、どれほど後世の天才たちの魂を鼓舞したか。中でも、「ドン・ジョヴァンニ」!!

《ドン・フアン》をもってモーツァルトは、いかなる雲も人間の目から隠すことのない、あの不滅の者たち、あの目に見える光明に包まれた者たちの列に歩み入ったのである。《ドン・フアン》をもってモーツァルトは、彼らのなかの最高位に立っているのである。
(セーレン・キルケゴール「あれかこれか」第1部(ドン・ジョヴァンニ論)より)
~同上書P177

現実を重視する、心底の不安を原動力とする哲学者にとって、モーツァルトは希望であり、また神であった。とりわけ「ドン・ジョヴァンニ」の魔性の音楽!!
同じく「ドン・ジョヴァンニ」を絶賛したチャイコフスキーも、また次のように書く。

私がモーツァルトをこれほど愛しているのは、おそらく、時代の子として意気消沈して、精神的に病的であるからであり、偉大で、健康で、反省によって蝕まれていない天性の生のよろこびが表現されているモーツァルトの音楽に、安らぎと慰めを求めればこそなのでしょう。
~同上書P222

しかしながら、本人がどんな自覚を持っているにせよ、チャイコフスキーの音楽にも「天性の生のよろこび」が表現されていることに違いない。自分の内にないものを見るのは不可能ゆえ。例えば、弦楽四重奏曲第1番(ハンガリー弦楽四重奏団)。第1楽章モデラート・エ・シンプリーチェから過去の懐かしさと未来への希望の共存を垣間見る。そして、有名な第2楽章アンダンテ・カンタービレの安寧の響き(レフ・トルストイが涙したという)。

・チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番ニ長調作品11(1871)
・ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番ヘ長調作品96「アメリカ」(1893)
・コダーイ:弦楽四重奏曲第2番作品10(1918)
ハンガリー弦楽四重奏団(1952.9録音)
ゾルタン・セーケイ(ヴァイオリン)
アレクサンダー・モシュコフスキ(ヴァイオリン)
ローレン・アリュー(ヴィオラ)
ヴィルモシュ・パロタイ(チェロ)

ドヴォルザークの「アメリカ」にある溢れんばかりの躍動感。
彼にとってもモーツァルトは「太陽」だった。

「モーツァルトってなんだ? 知っているかい?」学生たちは、古典派だとか、ハイドンの後継者だとか、ロマン派の先駆者だとか答えた。
「そんなこと言ってるようじゃまるで音楽に対するセンスがない。きみ、あれだよ。」
と、窓の外をさし、
「あの太陽なんだよ。モーツァルトは!」
と語ったという。

(ドヴォルザークのプラハ音楽院の学生との問答)
~同上書P222

ドヴォルザークの音楽も、やはりモーツァルトに負けず劣らず太陽だ。
中でも、第2楽章レントの瑞々しさと美しさ。また、第3楽章モルト・ヴィヴァーチェの歌謡。そして、終楽章ヴィヴァーチェ・マ・ノン・トロッポの息吹。

極めつけはコダーイの弦楽四重奏曲。2つの相対する楽章は大宇宙の顕現であり、4つの弦楽器が見事に調和する様子が聴こえる。大戦の影響は少なからずあろう、第2楽章の音調は正直相当暗い。しかし、この不穏さの中にこそマジャールの血騒ぐ濃密な舞踊があり、言葉にならない官能があるのだ。

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2 COMMENTS

ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様、

このCDをご紹介くださり、ありがとうございます。
聴いてみました。
チャイコフスキーは、ロシア的なメロディーをにじませながら、よくこんなにお洒落な音楽を作ったなぁ、と思いました。チャイコフスキーがモーツアルトに心酔して書いた言葉に、感銘を受けました。が、モーツアルトもまた当時は、バロック音楽などと比べると「時代の子として意気消沈して、精神的に病的」と映っていたような気がするのですがどんなもんでしょうか。
 ドヴォルザークの2楽章なんかは、「新日本紀行」の映像のバックに流れているとぴったりでは?とおもうほど、土着のかんじがして好感が持てます。「遠き山に日は落ちて」を日本人が大好きな理由がわかったような気がしました。ありがとうございました。

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岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

おっしゃるように、モーツァルトも当時は「時代の子として意気消沈して、精神的に病的」でしたでしょうね。
ただ、最晩年の経済的困窮というのも、当時の世相の問題(一番は1787年から91年の墺土戦争による貴族たちの疎開)によるところから仕方なかった可能性もあり、本人は意外に「のほほん」としていたのかもしれません。あれだけの数の無心の手紙を易々と書けるくらいですからね。その意味では、世間からは「病的」に映ったかもしれませんが。(笑)

ドヴォルザークの旋律はほんとに日本人好みですね。
たまに聴くと癒されます。

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