
決してメジャーな作品ではない。
それほど舞台にかけられることもない(と思う)。
しかし、陳腐な音楽ながら間違いなくメンデルスゾーンの香りがするのは確かだ。
シューマンも決して高く評価していないピアノ協奏曲。
佳曲であるが、彼の言葉どおりここには革新がない。
それから交響曲やソナタにさかんに用いられるスケルツォを協奏曲にうまく取入れられないだろうか。そうなると協奏曲全体の形はややかわらなければならないが、オーケストラの各声部とおもしろいかけあいがみられるに相違ない。メンデルスゾーンなど誰よりも成功しそうに思うのだが。
~シューマン著/吉田秀和訳「音楽と音楽家」(岩波文庫)P154-155
結果的に、協奏曲にスケルツォ楽章を採用したのはブラームスだと認識するが、それもこれもシューマンのこの論に由っていたのかもしれない。
ロベルト・シューマンは次のようにも書く。
メンデルスゾーンは当然、いつもそうした立派な音楽を与えるという讃辞を受ける資格があるけれども、その彼にしても、熟考した曲のほかに、時々粗雑な作曲をすることがあることは否定できない。そうして今度の協奏曲もまた彼の最も粗雑な作品に属する。
~同上書P156
シューマンの鑑識眼ははっきり正しい。
果してメンデルスゾーンが投げやりに作曲したのではないと思うが、聴く者にとってそれほど魅力的な音楽ではない。そういうわけで、ともかく明朗で快活さな作品を肩肘張らずに楽しめと、シューマンは言うのである。
(それでも、一方で彼はショパンの協奏曲については激賞しているので、不思議といえば不思議。僕に言わせれば五十歩百歩、ショパンのものよりメンデルスゾーンのものがより優れているという意見も絶対にあるだろうから)
明朗快活なメンデルスゾーンの音調。
駄作だろうが傑作だろうが、世間の評価はこの際どうでも良い。
少なくともこの音楽に浸っている最中は、なんて素晴らしい音楽なんだろうと思えるのだから。
両曲とも緩徐楽章が美しい。
これほど前向きで明るく、かつ抒情豊かな音楽が他にあろうかとさえ思うほど。
アシュカールの独奏もシャイーの指揮も至って平凡だが(あくまで中庸という意味)、それがメンデルスゾーンを奏する時の鉄則だと思う。
ピアノ協奏曲第1番ト短調は1830年11月から31年10月にかけて作曲された。そして、1831年10月17日にミュンヘンで初演、楽譜は32年10月にロンドンで出版された(後に、ライプツィヒのブライトコップフ&ヘルテル社によって出版)。
1832年5月28日と6月18日には、作曲者自身のピアノ独奏で、ロンドン・フィルハーモニック協会で再演された。
一方、ピアノ協奏曲第2番ニ短調には、メンデルスゾーンの「英国民に自身をピアノの名手として知らしめたい」という願望が現れていると考える人もいる。彼は1837年5月から8月の新婚旅行中にこの曲を書き上げた(その年の秋に開催される権威あるバーミンガム音楽祭を見据えてのことだ)。実際、バーミンガム音楽祭で彼はオラトリオ「聖パウロ」作品36(MWV A14)を演奏し、様々なコンサートを聴き、オルガンでは即興演奏を行い、最後にこの新作の協奏曲を披露したのである。結果、大きな評判を受け、新たなオラトリオの委嘱があった。それが後に誕生するオラトリオ「エリヤ」作品37(MWV A25)であった(1846年8月26日完成)。


