夜更けに音量を絞って、虚心に耳を傾けよ。
エリー・アメリンクの歌うガブリエル・フォーレの実存。同時に、伴奏するダルトン・ボールドウィンの神々しきピアノの音色。器楽と人声が一体となる麗しきレコード芸術。
幸せに満ちたフォーレの生涯も、1903年以後は宿命的な持病である聴覚の障害により陰り始めていた。彼は自ら「私は致命的な病によって打ちのめされています」と妻に1903年8月11日の手紙の中で打ち明けているが、次男のフィリップはさらに次のようにつけ加えている。
「ベートーヴェンに長期にわたってつきまとった絶望感やシューマンの苦しみは、彼自身のものでもあったのです・・・難聴に加えて、不幸にも彼にはより悪質なデフォルメした音が聞こえ、低音域は三度高く、高音域は三度低く感じられたのです。そしてただ中音域のみが弱いながらも正確に知覚されていました。」
~ジャン=ミシェル・ネクトゥー著/大谷千正編訳「ガブリエル・フォーレ」(新評論)P156-158
その頃以降の、フォーレの作品に内在する透明な、純粋無垢な響きは、幸か不幸か(ベートーヴェン同様)心の耳によって捉えられたものだったことがわかる。すべてをそぎ落とした絶対美。
全集からの最後の1枚は、聴覚を失ったガブリエル・フォーレの神の声。
ジェラール・スゼーの色気ある、そして深みある歌に脱帽。
《閉ざされた庭》は、サン=サーンスがあまり好きになれないと語った作品のひとつである。《イヴの歌》と同じヴァン・レルベルクの詩を用いた八曲からなるこの作品について、サン=サーンスは1915年のフォーレへの書簡で次のように書いている。
でも《閉ざされた庭》を私が理解できないとか、詩も音楽と同様なじめないものだとうちあけたからといって、どうか悪く思わないでください。この庭は無情にもなんというトゲで閉じられているのでしょう。
~日本フォーレ協会編「フォーレ頌―不滅の香り」(音楽之友社)P118
保守派サン=サーンスの理解を超えたという点で聴覚を失ったフォーレの革新の勝利と言える。実際「閉じられた庭」は、閉じられているどころか、一見変化のない単調なピアノの伴奏から匂い立つ神秘感によって聴く者の感覚を見事に開く傑作だ。アメリンクのアンニュイな歌唱が素晴らしい。