アムラン ユロフスキ指揮ロンドン・フィル メトネル協奏曲第2番(2016.3.7録音)ほかを聴いて思ふ

ニコライ・メトネルは、セルゲイ・ラフマニノフと双璧のコンポーザー・ピアニストである。この二人の音楽に通底するのは19世紀的浪漫の匂いを残す旋律美と、常に革新的に挑戦しようとする前衛性。ロシアの広大な大地から放たれる大仰な土臭さ。そして、ヴィルトゥオジティの強調。その作品は一世紀近くを経た今も、大衆を感化する憂愁と憧憬に満ちたもの。あまりに美しい。

作曲家には三つの種類があります。一、(市場)を考慮して受けのよい音楽を書いている者。二、流行のすなわちデカダン的傾向の音楽を書いている者。そして三番目は、女王が話しているような(きまじめな、非常にきまじめな音楽)を書く者。私とあなたは、三番目の人種に属する訳です。出版社は、前二者の作品は快く出版してくれます。(結構な仕事)になるからです。その代わり、第三のものについては、極端に渋い顔をします。
(ラフマニノフがメトネルに宛てて書いた手紙)
ニコライ・バジャーノフ著 小林久枝訳「伝記ラフマニノフ」(音楽之友社)P376

どれほど甘美なメロディを創作しようと、ラフマニノフの心底に流れるものは人々を芸術的に高い境地に誘おう、感化しようとする思いだったはず。そして、メトネルにおいてもラフマニノフと同様の思いがあっただろう。ただし、彼はラフマニノフ以上にきまじめだった。

二人の切磋琢磨と互いを刺激、鼓舞、尊敬する様子は双方の手紙からも垣間見える。

あなたのこれらの新しい作品(作品34、35、36、37)は多くの喜びを与えてくれました。ロシアにいた頃にも言いましたが、もう一度繰り返します。あなたは現代の最も偉大な作曲家だと思います。
(1921年10月29日付、ラフマニノフのメトネル宛手紙)
高橋健一郎「同時代人の見たニコライ・メトネル10」

一方のメトネルはラフマニノフを次のように賞讃する。

作曲家、ピアニスト、指揮者—どれをとっても同程度にとてつもない大家であるラフマニノフは、そのどの立場でも音がインスピレーションに満ち、音楽の諸要素が息づいており、驚嘆させられる。
~同上論文

ちなみに、しばらく作曲の筆を折っていたラフマニノフが、メトネルの忠告により作曲を再開し、生み出されたのが1926年のピアノ協奏曲第4番ト短調作品40。この作品は当然メトネルに献呈されているが、そのお返しにメトネルは当時作曲中のピアノ協奏曲の創作を急ぎ完成、ラフマニノフに捧げたのである (この曲はラフマニノフの第2協奏曲の影響をたぶんに受けているように思う) 。

・メトネル:ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品50(1920-27)(2016.3.7録音)
・ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番ニ短調作品30(1909)(2016.3.10録音)
マルカンドレ・アムラン(ピアノ)
ウラディーミル・ユロフスキ指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

さすがにアムランの腕が冴える。第1楽章トッカータの強力な打鍵に戦慄を覚えるほど(しかし、アムランの演奏は、実演にせよ録音にせよ正直僕の心にはあまり響いたことがない。ヴィルトゥオーソであることは自明なのだが、何だか大袈裟な、自慢の音のように聴こえるのである。僕の耳やセンスがおかしいのだろうと思うが)。ただし、第2楽章ロマンツァは絶品!(主題はシューベルトのような息の長い、優雅かつメランコリックな調べ。こればかりはラフマニノフも後塵を拝するだろう)
そして、アタッカで続く終楽章ディヴェルティメントは、都会的センスが際立つ、開放感に富む喜びの歌。

ラフマニノフの協奏曲第3番も、アムランの十八番だけありもちろん巧い。
ところで、この録音で重要な役割を果たすのが、ユロフスキ指揮するロンドン・フィル。各楽器の独奏シーンのニュアンス豊かな華麗な響きが(それでいて主張し過ぎない)超絶技巧の2つの浪漫的大曲に花を添える。

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