独自の言語を持つことが大切だ。それは、他には真似のできない唯一無二の方法でもある。他の影響を受けるとはいえ、真の創造とはそういうことなのだと思う。
いかにもショスタコーヴィチ節。例によって皮肉たっぷりだが、愛嬌のある旋律。第1楽章アレグレット冒頭から、献呈を受けたロストロポーヴィチのチェロが感じ、うねる。
1959年8月2日の晩に、彼(ロストロポーヴィチ)はその楽譜を受け取った。4日後の8月6日に、ロストロポーヴィチとデデューヒンは、ショスタコーヴィチのダーチャに赴き、第1回目の通し稽古を行った。ショスタコーヴィチがたいそう驚いたことに、ロストロポーヴィチはその協奏曲をすでに暗譜していた。後にショスタコーヴィチの義理の息子となる、エヴゲニイ・チュコフスキーの記憶によると、この初演奏を祝して、1階のベランダで食事会が催された。その後、彼は車で作曲家をレニングラードに送り、少し休憩して、ウォッカを飲みスナックを食べると、ショスタコーヴィチ、ロストロポーヴィチ、デデューヒンの3人は作曲家の姉妹のアパートに集まり、新しい協奏曲について細部にわたって議論を交わした。そして、作曲家はロストロポーヴィチへの献辞を書き入れた。
~ローレル・E・ファーイ著 藤岡啓介/佐々木千恵訳「ショスタコーヴィチある生涯」(アルファベータ)P274
第2楽章モデラートの、これまたショスタコーヴィチ常套の抒情が真に迫る。コーダのチェレスタとチェロが交互に奏で合うシーンは、もはやこの世のものとは思えぬ冷たい官能の体現。そして、アタッカで奏される第3楽章は最美のカデンツァであり、まさにロストロポーヴィチならではの神業。終楽章アレグロの弾ける諧謔の歓び。
セルゲイ・プロコフィエフは語る。
ベートーヴェンとシェイクスピア、モーツァルトとトルストイ、チャイコフスキーとディケンズ、これら人間頭脳と魂の巨人たちの人生を思い出してみよう。彼らが偉大だったのはまさに自分自身の道義心の指示に従い、その才能を人類のために仕えることに捧げたからではないだろうか? 彼らが不滅なのは、そのためではないだろうか?
(「ニュース」1951年)
~田代薫訳「プロコフィエフ自伝/随想集」(音楽之友社)P228
そして、かく言うプロコフィエフもその才能を人類のために捧げた一人だろう。
プロコフィエフの最高傑作の一つ、交響的協奏曲。
献呈を受けたロストロポーヴィチの超絶技巧。何より第2楽章アレグロ・ジュストに現われる美しくも詩情豊かな旋律に感激。ここでもロストロポーヴィチは激しく歌う。17分に及ぶこの大きな楽章は、小澤征爾率いるロンドン交響楽団の強力なサポートによって一層自由で、一層生命力満ちる音楽として再現されているのではなかろうか(独奏者、指揮者、そして管弦楽の見事な三位一体)。
変奏曲形式の終楽章アンダンテ・コン・モートは、コーダの壮絶な音調に心奪われる。やっぱりチェロが巧い!
[…] とは、ロストロポーヴィチの優れたチェロ独奏があっての作品だということ(後年の小澤征爾との協演盤も素晴らしいが、若きロストロポーヴィチの気概満ちるこの演奏はより鮮烈だ)。 […]