荒々しき、重戦車(?)の如くの交響曲第3番。
珍しいエーザー版による朝比奈隆の演奏の評価は決して高いとは言えない。しかし、終演後の聴衆の雄叫びと猛烈な拍手喝采を聞くと、その場にいた人たちがいかに感動したかが伝わってくる。おそらく一期一会の名演奏だったのだろうと僕は思う。
朝比奈隆は「第3番」を最も苦手とする旨の本心をいつだったか語っていた。
その御大が、亡くなる数ヶ月前、最後にとり上げようとしたのは「第3番」の第1稿だったというのだから驚きだ。
ブルックナー全集を最初に依頼されたときは「いいんですか」って言ったんです、あんなもの何カ月もかかるし、出演料もいただかなきゃいけない。録音するメーカーもアイデアを考え、苦労もし、手間も掛けてやっておられる。大変ありがたい。「あの歌手、有名になったからいっちょ売ろう」なんていうのは、何百万と売れるが、そういう安易なものではないです、これをつくるほうも。
~朝比奈隆「指揮者の仕事♯朝比奈隆の交響楽談♭」(実業之日本社)P63
御大は実に謙虚だ。
しかし、そうやって日本にブルックナーの音楽が浸透していったのである。
「ジァンジァン」のレコードは限定販売であり、広く一般の音楽ファンの手に行き渡ったとはいえないし、レコード雑誌にも批評が出ず、買いそびれた人も多いことだろう。大手のレコード会社が愚図ぐずしていたための弊害であるが、一方では長所もあった。「ジァンジァン」の社長高島氏は大のブルックナー・ファン、朝比奈ファンであり、録音のときは、必ず客席に姿を見せていたが、最初のレコーディングである「7番」が鳴り出したときは感動のあまり涙が出て来たそうだ。
~宇野功芳「指揮者・朝比奈隆」(河出書房新社)P122-123
宇野さんの歯に衣着せぬ言葉の一つ一つも朝比奈隆のブルックナーを世に広める原動力になった。こんな小論を読んで、聴きたくならない方がおかしい。かく言う僕も当然、高校生当時、すでに廃盤になっていた「ジァンジァン」の録音を探し求めた。
・ブルックナー:交響曲第3番ニ短調(フリッツ・エーザー版)
朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団(1977.10.28Live)
大阪フェスティバルホールでのライヴ録音。
朝比奈隆の音楽遺産は、死後20年近くを経ても廃れるどころか、ますます光輝を放つ。
先日聴いた尾高忠明指揮大阪フィルの第3番は、いまだに耳の奥底に残る名演奏だったが、40年以上も経過するのにも関わらず朝比奈隆の演奏は、それにもまして新しい。
かつて大阪フィルの音はあれほど洗練されていなかった。悪く言えば、まったく洗練されず、野人のような濁った音が炸裂するものだった。しかし、そのことが一層ブルックナーの神髄を衝いたのである。
最重要は終楽章アレグロ。エーザー版には、大事な第1楽章主題の回想がある。
轟音うねる打楽器、怒涛の金管に不器用な弦の響きなど、朝比奈の、赤裸々な思いが俄然伝わる(瑕はあれども)神がかった演奏だと僕は思う。