他を知るは智、己を知るは明

wagner_tristan_bernstein.jpgマーラーは1883年、23歳の時に初めてバイロイトを訪れ、「パルジファル」の舞台に接し、ワーグナーの洗礼を受けた。以来、彼の中でこの巨匠は「神」となるのだが、晩年の著作「宗教と芸術」の影響から、菜食主義者にもなったのだという。マーラーは「私には三重の意味で故郷がない」と言った。彼の中でユダヤ人である自分自身が許せなかったのかどうかはわからないが、反ユダヤ主義の急先鋒であったワーグナーの虜になったことやアメリカ生活の中で黒人蔑視の見解を手紙に認めているところから考えると、自分のことは棚にあげて極端な「人種差別主義者」であったようだ。びっくりするような矛盾。
おそらく自己の中のコンプレックスの裏返しが家庭や仕事における暴君としての自分自身のアイデンティティの支えだったのだろう。あるいはその事実こそが彼の創造の原点、発火点であったとするなら、人が自らにもつ欠点というのは、社会生活を営なみ名を馳せていく上でとても重要な要素になるのだろうから否定することもなかろう。

20年来、「人間教育」に携わってきて最近考える。人のマイナス面だけをそれほど強調する必要はないのではないかと・・・。恐怖心や不安感を煽る必要もないのだから、その人の長所、プラス面にもっと着眼したほうがもっと良い結果に繋がるだろう。人は幼少時の環境や体験によって「脳」が形成され、それによって行動を支配される。なぜそういう問題行動を起こすのかに目を向けるより、どうしてそういう長所が身についたのかを掘り下げる方が自然だろう。
期せずしてここのところのいろいろな人との話の中、あるいは意見の中から気づきを得ることができたことは収穫だ。

ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」
ペーター・ホフマン
ヒルデガルト・ベーレンス
イヴォンヌ・ミントン
レナード・バーンスタイン指揮バイエルン放送交響楽団&合唱団

バーンスタイン畢生の名演奏。ワグネリアンであったグスタフ・マーラーが数々のオペラ劇場で取り上げたワーグナー作品は数知れず。しかもその上演のどれもが決定的な名演奏、名舞台であったというから叶わぬ夢ながら一度は聴いてみたかった。そんなことを考えながらこの音盤を取り出したが、バーンスタインのこの演奏におけるテンポの遅さや粘着性、うねりはおそらくマーラーの指揮を髣髴とさせるものなのではないか。さすがに4時間20分ほどかけて全曲を聴き通すのは体力的にも精神的にも(もちろん時間的にも)不可能なので第1幕の前半部(つまりCD1のみ!)だけを聴いたが、音楽による官能世界の表現の妙味はいくつもある「トリスタン」の音盤の中で随一だろう。

他を知るは智、己を知るは明。他を抑えるは威力、己を抑えるは真の力。
老子

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