カラヤンの「ナクソス島のアリアドネ」を聴いて思ふ

r_strauss_ariadne_karajan「オペラを聴く」という行為は想像力をかきたてる。言語、歌を楽器のひとつとして捉え、音楽そのものを純粋に聴くことが実に面白いのである。邪道だという人ももちろんあろうが。
例えば、リヒャルト・シュトラウスのオペラはとてもうまく作られている。交響詩という分野で相当な下積みをし、いわば音楽のみの力によって情景・心象を描く手法を身につけた彼が、20世紀に入って集中的に書き上げたオペラの諸作は、いずれの作品も「音楽がとても魅力的」だ。

有名な個所だけれど、「ナクソス島のアリアドネ」のオペラの最後のアリアドネとツェルビネッタの二重唱。いや、もうこの陶酔ったら他にない。この音楽の中に埋もれてしまいたいほど。ワーグナーほど官能的に陥らず、それでいて適度な恍惚感を忘れずに。

モノラルだが(いや、モノラルであるがゆえの琥珀色の古酒のような味わいに満ちる。僕は酒はたいして飲めないけれど・・・)、カラヤンが録音したEMI盤は本当に美しい。
男声と女声、そして管弦楽がひとつになり、シュトラウス的美の世界を見事に表出する。
リヒャルト・シュトラウスは表現に長けた音楽家だ。ホーフマンスタールの協力を得て、一層そのことに拍車がかかった。一方、再現者であるカラヤンも同様の表現美学をもつ。彼らは「聴く者」のことなど考えない。ともかく「俺について来い」と。それがはまった時の音楽には有無を言わせぬエネルギーが伴う。僕はこの「アリアドネ」に(もはや古いのだが)それほどの魅力を感じるのである。

R.シュトラウス:歌劇「ナクソス島のアリアドネ」作品60
エリーザベト・シュヴァルツコップ(プリマ・ドンナ&アリアドネ、ソプラノ)
リタ・シュトライヒ(ツェルビネッタ、ソプラノ)
イルムガルト・ゼーフリート(作曲家、ソプラノ)
ルドルフ・ショック(テノール歌手&バッカス、テノール)
カール・デンヒ(音楽教師、バリトン)
ヘルマン・プライ(ハルレキン)
ゲルハルト・ウンガー(スカラムッチョ)ほか
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団(1954.6.30&7.1,2,5-7録音)

時間の関係で「オペラ」の後半部(2枚組の2枚目)のみ繰り返し。
「アリアドネ」ももちろん映像があるなら映像で観た方が良い。しかし、これほどに音楽でのみ接しても通用するオペラ作品は少ないのでは?巷では、ワーグナー的手法とモーツァルト的手法を統合し、独自の世界を表出した最初がこの作品だと言われるが、なるほどその意味で作曲家の強烈な「個性」が後退しているとみても良いのかも。つまり「思想」が抜け、あくまで天からのインスピレーションに従って仕上げられた音楽により近づくというか・・・(少し語弊のある言い方だけれど)。

音楽の高揚、そしてカタルシス。
嗚呼、何て美しい音楽なのだろう。
人間の声ってどうしてこうも素晴らしいのだろう。

 


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