アルバン・ベルク四重奏団 ブラームス四重奏曲第2番(1991.11.3Live)を聴いて思ふ

精緻なアンサンブルと作曲者に同期した魂からの声。全盛期のアルバン・ベルク四重奏団の演奏に僕は思わず釘付けになる。

オイゲーニエ・シューマンの回想。

ブラームスは誤って人を傷つけた。でも自分の傷のほうが大きかったはずだ。相手に向って気持ちを爆発させると、その場はよくても本当に気が晴れるわけではなく、かえって自分に嫌気がさす。彼の粗暴な態度は、プライバシーを侵害しそうな攻撃に対する、終わることのない防御体制だった。誰かが意見を先回りしようものなら必ず天邪鬼な受け答えをする。しかし心から意見を求められていると感じれば、親切に詳しく話していた。あるとき、ワーグナーのオペラについて、私なりの意見を述べたいと言うと、「仕方がないな」という態度で耳を傾けてくれた。そこで《三部作》や《トリスタン》などから受けた印象を話すと彼は、
「《さまよえるオランダ人》は聴いたの、おや聴いていないの?ぜひ聴きなさい。ワーグナーの最高傑作だよ」
移調のコツをどうやって生徒に教えるかを手紙で質問したときも、丁寧に答えてくれた。

オイゲーニエ・シューマンほか著/天崎浩二編訳・関根裕子共訳「ブラームス回想録集③ブラームスと私」(音楽之友社)P28-29

気性の激しいブラームスにしては、推敲を重ねた結果なのか、あるいは、その時期の(数々の顕彰と名声の高まりによる)心の安定が幸いしたのか、弦楽四重奏曲イ短調は、いわば「静」のブラームス(対となる弦楽四重奏曲ハ短調は「動」)。
囚われのない、充実の第1楽章アレグロ・ノン・トロッポ。何という開放。続く第2楽章アンダンテ・モデラートの慟哭。アルバン・ベルク四重奏団の思い入れたっぷりの演奏が、聴衆の涙を誘うよう。また、第3楽章クワジ・メヌエットから終楽章アレグロ・ノン・アッサイにかけての喜びの爆発は、気難し屋ブラームスが心を許したわずかな瞬間の刻印だ。音楽は隅から隅まで有機的で無駄なく、そして美しい。

再びオイゲーニエ・シューマンの報告。

晩年のブラームスが、不機嫌にこう言い放ったことがある。
「友達なんか一人もいやしない。僕の友人だと言う人間がいても、信用しちゃだめだ」
周りは言葉を失い、私がやっと一言「でもブラームスさん、友情はこの世で一番の贈り物でしょう・どうしてそんなに嫌がるのですか」
彼は目を大きく見開き、私を見つめたが答えなかった。彼は間違いなく苦しんでいた。彼は誰よりも人間臭く、それゆえ深く愛されてもいたのである。

~同上書P29-30

悲しいかな、素直になれないこの性格こそがブラームスの芸術の源泉なのである。
ただ、確かに彼は愛されていた。

・ブラームス:弦楽四重奏曲第2番イ短調作品51-2(1991.11.3Live)
アルバン・ベルク四重奏団
ギュンター・ピヒラー(第1ヴァイオリン)
ゲルハルト・シュルツ(第2ヴァイオリン)
トマス・カクシュカ(ヴィオラ)
ヴァレンティン・エルベン(チェロ)

サンクトペテルブルクはユスポフ宮殿でのライヴ録音。
聴衆は静かに佇み、虚心にブラームスの音楽に酔っているようだ。

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