ムラヴィンスキー指揮レン・フィル ベートーヴェン第7番(1958.11.16録音)ほかを聴いて思ふ

真に神々しい。
スタジオでのムラヴィンスキーの演奏は、ライヴ録音でのそれと見劣りすることのない強力なエネルギーを発するもの。基本的に解釈の差がないところが、彼の音楽の安定であり、それがまた聴く者に多大な影響を及ぼす源泉だ。

人間が生きる上で、音楽はどうしても必要なものではない。しかし、音楽がないことは不幸なことだ。私は、音楽にはすべてに勝る力があると信じている。かつて音楽を聴いていて、私は雷に打たれたような衝撃を覚えたことがある。音楽が芸術であるためには、人の心を強く打つものでなければならない。聴き手と演奏者の両方を揺さぶることこそ、音楽の大きな目的である。
エフゲニー・ムラヴィンスキー/木幡一誠訳

この言葉をして、彼の音楽の目的が、聴き手に限らず演奏者の魂をも揺るがすことであったことがわかる。驚異のベートーヴェン!!

ぜい肉が削ぎ落された筋肉質の体躯と集中力高い精神性。ハ短調交響曲の稀に見る「闘争から歓喜へ」の具現。エフゲニー・スヴェトラーノフのムラヴィンスキー芸術に対する評が的を射る。

彼の作り出す音楽は外面的には極度に簡潔、控えめで、皮相的な効果など微塵も感じられないもので、時にそれは禁欲的ですらある。音楽の直接の響きから導き出されるもの以外は何も余計なものがない。しかし、その響きの陰にはいつもコントロールされた、高度な知性と均衡を保っている飽和した感情表現が隠されている。
ヴィターリー・フォミーン著/河島みどり監訳「評伝エヴゲニー・ムラヴィンスキー」(音楽之友社)P203

灼熱の第1楽章アレグロ・コン・ブリオと、クールダウンされた抒情を持つ第2楽章アンダンテ・コン・モート。少々深刻な第3楽章スケルツォを経て、終楽章アレグロは、クライマックスに向けて押し寄せる直接的な喜びに溢れるもの(それこそ「高度な知性と均衡を保っている飽和した感情表現」とでもいうのか)。

ベートーヴェン:
・交響曲第5番ハ短調作品67(1949録音)
・交響曲第7番イ長調作品92(1958.11.16録音)
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

9年後のイ長調交響曲は一層素晴らしい。
様子を窺うように歩を進める第1楽章序奏ポコ・ソステヌートの神秘。また、主部ヴィヴァーチェの思い入れたっぷりの苦悩。続く第2楽章アレグレットは、文字通り控えめに、そして余計な感情移入は避け淡々と奏されるが、それがゆえの冷たい官能がそこにはある。また、第3楽章スケルツォはトリオが愉悦の極み。
白眉は、心地良いテンポで突進する終楽章アレグロ・コン・ブリオ。およそ恣意性のない、ベートーヴェンの音楽だけしか感じさせない魔法。

アーリャが出かけて行った。
夜の7時、立ち上ると
食堂から外のベンチがみえる。
さっきまで車を待って座っていたベンチに
私たち二人の人影が凝縮して残っている。
過去と現実のはざまでの
移行の一瞬なのだろう。
消え去っていく生活のひとこまが
ある現存の中で
感覚的に、視覚的に
とらえられることがあるのだろう。
(ムラヴィンスキー)
いいだろう
(アーリャ)
そうね

(訳詞:河島みどり)

1973年3月、レニングラード近郊コロンボの「映画人の家」という保養所で夫妻で休息していたときにカセット・レコーダーで録音されたムラヴィンスキー肉声の詩は、実に音楽的。
そして、1977年1月の、レニングラード・フィルハーモニーホールでのワーグナー「マイスタージンガー」前奏曲リハーサル(ゲネプロなのだろう、途中で止めることなく通しで演奏される)の素晴らしさ!

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